2015年8月3日月曜日

【敦煌】莫高窟で夢を見ましょう


大学2年くらいのころからシルクロードに対する憧れが強くあった。
果てしなく遠く、僕とはまったく関係のない別世界のような気がしていたけど、気がつけばいま一人で敦煌に来ていたりするから面白い。
敦煌は甘粛省の西の端っこにあり、ここから砂漠のイメージ広がる中国の西域がはじまるといった場所である。
シルクロードの交差点にあり、様々な文化が出会う砂漠のオアシスうんぬん…という説明はネットで調べると死ぬほど出てくるので拾った画像だけ貼ってもうやめよう。


果てしないユーラシア大陸の旅。敦煌は真ん中右寄りらへんにあります(http://todaibussei.or.jp/asahi_buddhism/11.html)



敦煌といって有名なのは敦煌莫高窟で、これは4世紀半ばくらいから掘られた洞窟に壁画がめちゃくちゃ書かれていたり仏像がめちゃくちゃ作られたりしたところである。
1900年まで長い間忘れられていた敦煌莫高窟。
井上靖の小説『敦煌』は現在の研究では真実とは言えないらしいが、壮大な歴史の妄想と空想に感動したのは半年くらい前の話。

莫高窟を初めて知ったのはたしか大学2年の終わりに友人ととある展覧会準備の時になぜか中国の古い建築や美術の大きい本を見ていたときである。
そのときこの「交脚弥勒菩薩像」を見て興奮したのを覚えている。そしてなにより「トンコウバッコウクツ」というその名前に若き僕は得体の知れない遥かな世界を想ったものであった。


http://saray.co.jp/busseki/3399/


両脚を交差させているのは雲崗石窟と同じで、中央アジアからの影響、らしい。(この交脚弥勒菩薩像がある第275窟は残念ながら特別すぎて今年から非公開になったらしい)


さて敦煌には2泊しかしなかったんだけど(急ぎすぎた)、ちゃんと見たかったものは見れた。
もちろんまずは莫高窟へ。


砂漠をイメージしたっぽい莫高窟センター。施工は甘かった


バスで市内から20分くらい行くと、なんか砂漠をイメージしてつくられたと思われる建物が莫高窟のセンターになっていた。
チケットを買おうと国際学生証を見せると、チケットお姉さんが「は?」って言う。いままで使えていたのにここに来て国際学生証の効力が切れたようだ。これが西域か…と感じつつ5分くらい説明したんだけど、まったく何こいつみたいな感じであしらわれてしまった。
そして結果、莫高窟見学+日本語ガイド(莫高窟はガイドが必須、勝手に見れない)で240元(4800円!)も取られてしまった僕は、頬を伝う涙を拭き拭きこの粘土細工のような建物の中に吸い込まれていくのであった…


まずシアターみたいなところで3D莫高窟解説映像を見せられる。内容は莫高窟の概要とか、有名な窟の解説とかで、なかなか完成度は高かった。しかしイヤホンから僕の耳に流れてくる日本語翻訳が"中国人によるカタコトの日本語"だったのでひたすら聞きづらかった。思わず一人「おいおい…」とつぶやいてしまった。そこはしっかり日本人に仕事を頼んでくれ…時々日本語間違えてるし…

3Dシアター堪能後の人々は変な臭いのするバスに乗せられ、少し離れた莫高窟まで連れて行かれた。

お、掘ってる掘ってる!


ついに見えてきました。
要は横穴式ヤオトンみたいなものでしょう。「掘る」という行為は、広大な中国では普遍的行為であるに違いない。

到着してみると、莫高窟の前には大きな河が流れていた(今はほとんど流れていなかったが)。


ほとんど流れていなかったけど大きな河


でも考えてみれば、莫高窟のあれほど横に長い崖(南北に1600m)は河が削ったものと考えるのが妥当だ。莫高窟の立地条件として「河が流れている」という当たり前のことに気付いた。



説明板


莫高窟には600くらいの洞窟があり、その中に仏像や壁画があるもの、何もないものなど色々ある。ガイドに連れられてぞろぞろと20人くらいで中国人がまわっている一方、日本語ガイドの客は僕一人だったのでマンツーマンの解説が聞けた。これはラッキーだった。本来見るところもガイドが選んで8つくらいの窟をみるのだが、希望を言ったら彼女はそこを開けてくれたりした。

日本には言ったことないが日本語達者な案内の姉さん
(途中でコケて足を捻って、案内の兄さんにバトンタッチしてどっか行った...)



こういうふうに通路が前面に付加されている


この手すりなんかは後からつけられたものらしい。洞窟もひとつひとつ番号がふられ、施錠してある。

莫高窟の中は撮影禁止となっているが、外側は撮影可能だ。

これもたしか1000年以上前の絵


□地質はどうなっているの



崖の表面を見ていると、結構荒い礫による地層が見えた。なんか洞窟を掘るにはボロボロ崩れそうだ。

河の底にありそうな小石たちが封印されている地層


あとから「敦煌莫高窟の地質環境(1992)」なる論文をネットでみつけて見てみると、莫高窟の前を流れるのは「大泉河」という河で、現在水流はまれだがこの河によってつくられた「古期扇状地堆積物」を新しい大泉河が浸食してあの崖はできているのだそう。この論文にあった図を色分けして書いてみたのが下。

「莫高窟ここ!」って書いてあるのがあの崖


この「古期扇状地堆積物」という礫層は地質年代でいうと第4紀(180万年前〜現在)に作られたので「新しい」地質であるらしい。この論文の考察としては

・第4紀→安定とは言えない
・礫層→洞窟にはむしろ向いていない
・しかしこの層以外は彫れないし、地形的にも高低差があるのは浸食した部分だけ

ということになっており、彼らは

「莫高窟は、敦煌市街地から近い範囲の中では洞窟群を掘るのに一番適した場所に作られた物である」

と結論づけている。

つまりこの場所にはちゃんと地質学的に妥当性があり、4世紀から堀りはじめた仏教僧たちはその環境的特異点を知ってか知らずか、この地を選んだわけである。

でもやはりあまり洞窟に適していない地質ということで、なかなか管理が難しい(塩分とかの影響で絵がはがれたり)らしい。
つまりこの地質環境によって管理費がかかる→入場料高騰→僕の財布から240元が消えていく…というように4世紀の仏教僧たちの選択は1700年後の旅行者の財布にまで影響していたのであった。


□莫高窟の語る理想の世界




と、いう感じであまり写真はないのだけど、僕はとても感動したのであった。人間が1500年以上も前に書いた絵やつくった仏像が見られるってだけでなんか現実ではない気がした。(4800円払う価値はあったなあと見た後はしっかり思いました。)

外側からなら写真撮ってもいいと言われたので、ギリギリ外側(ほぼ内部)から撮った僕のお気に入りの洞窟を紹介しよう。


○16,17窟


17窟は1900年に敦煌文書が発見されたところ。
王エンロクという人が掃除してたら偶然、小さい部屋を発見→中にはみっちりと4万点の文書が→王さん中国政府に報告→ほっとけと言われる→あとから来たイギリス人や日本人、ロシア人などに安値で売ってしまった→後々とんでもなく重要な文書だとわかる(言語学を根本から考え直させるうんぬん)

という、先の小説『敦煌』のテーマとなった物語を持つ窟である。現在はただの小部屋なんだけど、みっちり文書がつまった姿とか、誰がここに文書を閉じ込めたのかとか考えると、歴史に触れている感がしました。

右下にちょこんとある小部屋が17窟


16窟は晩唐時代(848年)の洞窟。

ほぼというか完全に内部から撮ってしまった16窟


壁画に使われる顔料のうち青いのはアフガニスタンからきたとか、仏の目が水晶でキラリと光ったり(日本であまり見られない少年のような表情をしていた)、仏の後ろの柱がイオニア式に見えたりと面白い空間であった。


○237窟


写真はないけど237窟は唐の時代のもので、801年にチベット民族が敦煌を支配したことから、「チベット王にいろんな国の王が従っている図」が描かれていた。色々な国の王はそれぞれ顔だちが違って、すごく直接に歴史を伝えていて面白かった。こういう風に色々な国が「仏教」という共通項を持って集結し、交流し、刺激しあって莫高窟は生まれている。インドや中央アジア、中国、いろんな国の僧が洞窟を掘りながら修行していたという。


最後は最も良かったところ。

○249窟

ガラスの衝立てがあるのは残念だけど素晴らしかった


西魏(1400年前)のもの。
天井画は、風神・雷神という中国の神話のキャラクター、阿修羅などインドからきた仏教のキャラクター、さらに中国の道教の神々などがひとつの世界の中に同居している。
うわあ、これはすごいなと思った。全く違うものたちが同じ絵の具で、同じように描かれているのだから。

たぶん、方々の僧たちは

… 
インド僧「俺の国には"阿修羅"ってのがいるぜ」
中国僧「見せて見せて…おー!すげえ、顔3つあるじゃん!これ採用!」
中国僧「あれ、"風神・雷神"って知ってるんだっけ…?」
パキスタン僧「何それ知らん」
中国僧「こういう感じ(描く)」
インド僧「おお、すげえ!こんなんみたことないわ、これも描こうぜ!」
パキスタン僧「いいね、ていうか中国の仏よりうちの国の仏のが目鼻立ちくっきりでよくない?」
チベット僧「俺もそれ思った」
中国僧「確かに新鮮だな、それ壁に千個描いてよ!」
パキスタン僧「おっけー」
チベット僧「めっちゃ良くなってきたなこれ!!!」
… 


こんな会話を繰り広げていたことだろうと思う。(あくまで個人的妄想)


お互いの持っているものを出し合ってそれを認め合い高めていく。理想的な世界だ。吉阪隆正のいう"不連続統一体"ってこういうことじゃないか?

かつて存在したであろうそんな世界を再びつくらなきゃいけないと、壮大な夢を見せてくれた莫高窟でした。




※現在中国雲南省のシャングリラというところにいて、やっとgoogle系が使えたので更新できました(1ヶ月以上前のことを書いているので記憶が怪しくなってきました)。3日後くらいにはラオスに抜け、東南アジアをささっと駆け巡ります。2週間ぐらい旅した東チベットエリアではものすごい民家をたくさん見ました。お楽しみに。


0 件のコメント:

コメントを投稿