2015年9月28日月曜日

【トルファン】「くぼんだ地」の生き方(まとめ編)



トルファンの訪問をまとめる。正直わかり易すぎる「土着」というか、環境にもろに影響されていたところだったので、逆にどうまとめていいのやらと言った感じで悩んでいたけど、まあ書いてみようと思う。


まずこの「まとめ編」の目標は、
「トルファンの環境に対するウイグル人の住まい方を評価すること」
とする。そしてそれを

ⅰ 「くぼんだ地」のどこに住むか?(集落立地)
ⅱ 「くぼんだ地」でどう住むか?(家)

の二つに分けて書いていこうと思う


トルファンの環境は以下の図(再掲)のようなものだった。

トルファン環境ダイアグラム


そしてこの灼熱の地で住むためには
「水を得ること」「日差しを調整すること」「風を調整すること」が重要であろうと考える。



ⅰ 「くぼんだ地」のどこに住むか?(立地)




実は「交河故城」という前漢代(BC206-8)に存在した「車師国」の町の遺跡が、トルファン中心部から自転車で1時間くらい走ったところに残っている。

カラカラに干し上がった交河故城


交河故城の模型




上の模型のように、交わるふたつの河によって削られ残った孤島のような土地に、町がまるごとつくられていた。
この辺りはシルクロード沿いにあって、様々な民族が散らばっていたから、町を守ることが最優先されたはずである。さらに河はこの乾燥した土地において生きるために必要だったことは言うまでもない。2000年以上前のこの地においては「敵から身を守ること」という条件も必須であったことがわかるが、やはり「水を得ること」が大事であった。


現在のウイグルの家は川沿いではなく、人工の水路「カレーズ」沿いに多く残っている。これもまさに「水を得ること」の実現である。さらにカレーズ沿いにはポプラが植えられ「風を遮ること」も実現している。

カレーズは山から低地へと直線的に進むので、それに沿って直線的な村が構成される。おそらく一大事業であったので、多くが計画的に配置されたのだと考えられる(どのくらい古いのかは調査不足)。

一方現在の町の中心部はグリッド状に、カレーズのないところにつくられた。これは水道の発達によって可能になったもので、広い道路は車の交通に都合が良いのだろう。商業区はほとんどこの中心部にある。
しかし古い集落に比べると、水道に頼り切っていることは否めない。カレーズはきちんと手入れが行われ使い続けられれば、山の水の地下水なので涸れることはないはずである。
また古い集落がそのままの形を保てているのがこのカレーズのおかげ、とも言えるかもしれない。

ちなみに古い集落に住んでいるのはほぼウイグル人で、あとからやってきた漢民族は中心部に住んでいるようだ。
商業区である中心部とウイグル集落は航空写真でわかるように密接しているので、古い集落が孤立して過疎化していることはなかった。

古い集落(赤い点線)とその間には現在の中心部





結論:
・古い集落はカレーズ沿いにある。それは「水」「風」の二点からトルファンの環境条件によく合致している。

・ウイグル集落はカレーズに沿っているので直線的な構成をなす。

・水道の発達によってできた新しいグリッド状の町は、車交通に都合がよくトルファンの経済的な中心を形成している。

・万一インフラがダウンした時のことを考えると、ウイグル集落がカレーズを残して使い続けていることは懸命(お腹の弱い僕にしても飲み水として安全であった)。

・商業区である中心部とウイグル集落は密接しているので集落は過疎化していない。


メモ(いつかのさらなる調査へ向けて):
カレーズが集落立地を規定しているとすれば、この地にカレーズの計画がいつ行われたのか、そしてカレーズがどのような間隔で置かれたのか、計画者は誰か?を検討することによってさらに深く掘り下げられるはず。
さらに現在の中心部が以前どういう土地だったのかは調べる価値がある。




ⅱ 「くぼんだ地」でどう住むか?(家)



□家の特徴


ウイグルの家は季節による内部と外部の使い分けがまず第一の特徴であった。

書くことができた家の平面を、色分けして並べてみる。赤が家屋内部の居住空間、緑が家屋外部の居住空間(屋根やぶどう棚の下の空間)である。※スケールを合わせているわけでないので注意


図面を書いたウイグルの家の屋内・屋外居住空間



これを見ると、なんと外部を多くとっていることか、と改めて驚く。
家屋内部と同じくらいかそれ以上に、外部の居住空間を確保している。

この2つの居住空間(夏・冬)の違いは大きく「風をどうするか」ということであろう。

夏は、屋根で日差しを調整し、風を通し、ベッドを置いて家族皆で眠るのであった。
一方冬は、がっちりとしたレンガの壁によって風を遮った空間で眠る。

ウイグルの家は、夏と冬でまったく違う空間が使われている。ひとつの家に違う空間を併置し、人間が移動することによって住みこなしているのが面白いところであり、砂漠気候ならではの大胆さだがなかなか示唆的だ。我々はなにも一つの空間の中だけですべて考えなくてもいいんじゃないかと思わせてくれる。人間を動かすこともまた家のデザイン。


そして次に注目したのが、「浮いた屋根」。

「浮いた屋根」の部分断面図



この屋根の調整によって影を作りつつ光を取り入れ風も取り入れることができるという、ウイグルの発明であった。


そして最後に何度か登場した「天上への指向」。
これはまだ僕の憶測の域を出ないが、イスラム教徒であるウイグルの家には、どこか僕がモスクで見たものと通ずるところを感じた。この先の旅でムスリムたちの家を見る機会があるはずだから、これは可能性として書いておこう。



□家の材料


材料はほとんどのウイグル民家で共通している。

レンガ(家屋に焼成レンガ、塀や家畜小屋に日干しレンガが多い)…この土地に無尽蔵にある材料(地面と家の色が一緒)で、家屋はほぼレンガのみでつくられる。かつては日干しレンガのみで作られていたに違いない。

ポプラ…建材に使われる木材はほぼ100%ポプラ。屋根には細い枝も使われる。防風林としても植えられる。

鉄骨…ポプラに代わって柱や梁として使われている

筵(むしろ)…屋根材として。正確には何でできているかわからないが、葉っぱを編んだもの。

…レンガにならなかった泥は塗って使われることもある。


鉄骨を除くすべての材料は、この地で入手できるものであった。
また、ぶどう干し小屋、家畜小屋に関してもまったく同じ材料をつかっていた。

作り方については建設中の家は発見できなかったが、木造軸組ではないし、レンガを積んでいく作業であるから大人数や特別な技術は必要なく、プロでなくても建てられる作り方になっている。


日干しレンガから焼成レンガへの変化、そしてポプラから鉄骨への変化は、方法を変えずに可能なところだけ近代的材料へシフトしている点が評価できる。もし家屋がすべてRC造になったとしたら、上記の「浮いた屋根」による環境調整は容易ではないはずである。

ピチャンで見たこの家はこの状況をはっきりと提示してくれている。

屋根と柱を鉄骨にしたウイグル民家


一方中心部にはRC造による高層の建物ももちろん建てられるが、中国の他の都市でもそうであるように、低層の建物は多くレンガ造であった。
以下は僕が散々利用した(ウイグル美人の姉ちゃんが働く)食堂が一階に入っている建物であるが、上にぶどう干し小屋が乗っていた。

ぶどう干し小屋の乗る中心部の食堂



結論:
・ウイグル民家は、夏と冬をそれぞれ過ごすふたつの空間を持つ民家であり、人間が移動することを含めて環境に対しデザインされている。それは今も変わらない。

・光、風の調整のための「浮いた屋根」はこの地の環境に対する特筆すべき装置。
・家屋のつくりはモスクと通ずる「天上への指向」が感じられる。

・材料はほとんどのウイグル民家で同じで、可能な部分は近代的材料にシフトしている。→すべて変えないことで「浮いた屋根」などを失わない点が評価できる。

・中心部はRC造の高層もある中で、低層の建物はレンガ造が多いので基本的な作り方は民家とそう変わらない。ぶどう干し小屋が乗る場合もある。


メモ:
今回、言語上の理由で年代を聞くことができなかったが、レンガの寸法や積み方など細かい観察によって民家の編年的な変化を追える可能性がある。




最後に、以下はぶどう畑の下に潜り込んだ際の写真である。
このぶどうの下の空間に住もうとしたのがここトルファンの人たちではなかったか、と強く感じた。
家もぶどう干し小屋もぶどう畑も、どこか似ている、この「くぼんだ地」が生んだ空間なのであった。


ぶどう畑の下の空間=トルファンの原風景


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