2016年4月17日日曜日

【東チベット・準備編】地図を制する者は、旅を制す


東チベットとは、中国のチベット自治区を「西チベット」とした時に、その東側の自治区外の山地に拡がるチベット人たちの住むエリアを指す。(↓下の地図のオレンジ&赤の範囲)


wikipediaによるチベットの範囲。黄色がチベット自治区。黄色・オレンジ・赤が「チベット」と呼ばれる範囲で、地理的にはチベット高原の範囲とほぼ同じ。しかしインドやブータンなど(青い部分)も実質的にチベット文化圏と言える。


チベットの位置するチベット高原も、インドプレートがユーラシアプレートにぶつかってできたものである。平均高度は5000mだというが、それはもう日本に存在しない高さなのである。


いま、「チベット」という言葉にはやはり、危険でわけのわからない世界、というイメージが絡みついている(実際危険な目には一切遭わなかったが)。
旅に出る前、一度はそんなわけのわからない場所に行ってみたかったし、標高3,4000m以上の山の上に住む人たちはどんな生き方をしているか、ものすごく興味があったので、東チベットは中国旅行のハイライトのひとつとして考えていた。


予想をはるかに超えた場所だった。夢のような場所だった。自分がそこを旅していたことが信じられないくらい。


東チベットでは、チベット仏教はもちろんのこと、家をつくることと家族、大地との関係が非常に密接に感じられた。それだけ僕の生活は、大地や宗教や家、家族といった人間の基本的なところから離れてきているということなのだろうか。
少なくとも彼らの家は、僕がいま住んでいる東京の建売住宅とくらべものにならないくらい気持ちの良い、豊かな空間だった。
チベットの民家に関する研究はまだなかなか進んでいないようで、『チベット寺院・建築巡礼』(大岩昭之著)という本がチベット圏全体の建築をまとめているが、まだまだこれから知るべきことの多いエリアである。
僕は自分の訪問した家の情報しか書けないが、それも一定の価値あるものになるだろう。




さて僕が訪れたのは主に四川省の「カンゼ・チベット族自治州」というところである(最後のシャングリラだけは雲南省デチェン・チベット族自治州)。






チベット族自治州といっても住んでいるのはチベット族だけでなく漢民族や、前回の記事に出てきたチャン族などの少数民族もいる。
僕が向かったのはその中でもチベット色の濃い山地のエリアで、訪れた場所は、

成都→ラルン・ガル・ゴンパ→色達(セルタ)→甘孜(カンゼ)→道孚(タウ)→康定(カンディン)→稲城(ダオチェン)→雲南省シャングリラへ

である。気づけば7月21日~8月4日までの2週間を東チベット旅行に費やしていた。


各訪問地とルート。







当初、中国のビザなし滞在期間があと1週間ほどしかなかったので、急いで周るしかないと思っていたのだが、宿で情報を集めるうちに途中の康定という町でノービザからの観光ビザ取得ができるかもしれない、ということを知ったので滞在に余裕を持たせることができた。(取れなかったらやばかった)


このブログで僕はほとんど、旅行者に役立つ情報(宿の情報や、交通の事情)を書いてこなかった。それらはgoogleで検索すればヒットする日本人旅行者のブログにたくさん書いてあるし(実際僕も参考にしている)、僕の目的は情報提供ではなく、あくまで自分の見たもの考えたことをここに記録することだからである。


しかし、この東チベット旅行に関してだけは成都での情報収集が非常に役に立ったので、今回は準備編としてそれらを書いてみようと思う。



成都では「成都老宋青年国際旅舎(Hello Chengdu International Youth Hostel)」という宿に泊まった。旅行者の間では「旧シムズコージーゲストハウス」と呼ぶほうがなじみが深いらしいが、とにかく有名な安宿である。

最初成都に宿をとったとき、僕はあまり有名で日本人もたくさんいるような場所には行きたくないと思ったので(ひねくれ者)違う宿をとって、そこのオーナーに東チベットの情報を聞いていた。
しかしあまりにもざっくりとしか教えてくれず、非協力的だったため、やはり有名なこちらの宿に移った。


結果は大正解。まず、この宿で売られている地図がすごい。
この地図は宿の前オーナー夫妻が自身の旅行経験から作成した四川省地図で、裏には東チベット各地の情報、小地図が掲載されている。この地図がたしか15元で買える。



四川省の地図



20年後くらいにみたら泣けるだろう


東チベット各地の紹介。すごい密度!!


ネットの通じない世界でこれにどれだけ助けられたか。





僕はここで、「地図を制する者は、旅を制すという法則めいたものを学んだ。
大げさに聞こえるかもしれないが、何もわからず、どこに行ったら面白いものがあるのかわからなかった東チベット旅行の道程がどんどん見えてきたのを覚えている。
たぶん、おのれの立っている場所と向かう場所の関係性を確認すると、人は安心するんだろう。



そしてさらに、この宿に「住んでいる」日本人の60歳くらいの男性がいた。詳細は省くが、何度も東チベットに足を運んでいるベテランであった。
彼に夜な夜な指南していただいて(バスがどこに着くかとか、ビザがどこで取れるかとか、高山病についてとか、チベット仏教についてとか)、やっとこさ旅程を決めることができたのであった。


また宿には東チベット各地の写真や情報をまとめたファイルがずらっとあったので、本当に助かった。
ちなみに日本人旅行者も数人いた。同じ宿であったのは1か月以上中国を旅してきて初めてのことであった。中国人はたくさん日本にきているけど、中国に行こうという日本人はけっこう少ないのかしら。



宿にいたペットの豚




と、成都での滞在は、途中中国の設計事務所で働く日本人若手建築家と火鍋を食べたり(もちろん翌日下痢した)、金沙遺跡という3,000年前の遺跡に行ったり、はじめて3000m以上の高地に行くので(富士山登ったことないのです)高山病に備えて薬を買ったりして準備期間を過ごしたのであった。



成都に現れる偽ミッキー


成都のメシ屋


成都のメシ





→次回はラルン・ガル・ゴンパというチベット仏教の修行地の話を書きます。とても怖かった場所です...


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