不動産屋の方に同伴していただき、空き部屋も見る。(Sは住む可能性があるみたいだ)
外観。
角地に立つ。クリーム色の外壁、ワインレッドの屋根。日本の洋館のような雰囲気。高くなるほど狭まる幅。正面は床屋さん。
木製建具がかっこいい。
1階は各戸への道からのアプローチがある。塀とくっつく建物。
立面だけ見ても変わっている。
小さいベランダがついているところ・ついていないところがあったり、各階で開口部がそれぞれ違ったり、「よく考えられてそうな雰囲気」がある。
中に入ってみると想像以上であった。
見下ろすのは共用のパティオ。この外部空間に面した3階廊下から。
あら、この建物、大きな固まりかと思っていたら、中にドーンとパティオ(中庭)が設けられていた。
航空写真で確認。
南向きのパティオに向かって、段々と廊下(テラス)が面している。
大きなV字型をしていた。
とても気持ちがよい。
見学した部屋のテラスから。
廊下は部屋の前で大きめのテラスになっている。ここで休日に本を読みたい。酒を飲むのもありだろう。
見学した一人暮らし用の部屋の中は、入ってすぐにわりと広めの空間にキッチンがあり、横に広いテラス(図ではバルコニーって書いてある)がある。テラスの床の高さが部屋より低くなっていたので、DIYで高さをそろえればダイニングが実質2倍になって、暖かい晴れの日は外でモーニングをたしなみ、コーヒーを飲みながら村上春樹を読む耽ることも可能だろう。
思い出して書いた雑なプラン。
ダイニングの先に風呂、トイレを抜けて変形6畳間。
写真とってないけど窓がちょうどちゃぶ台ぐらいの高さまであって、明るい。
床に座ってみたら窓枠がちょうどよい高さ。この部屋には高いものは置くべきでない。
パタンランゲージ的。名付けたくなる部分に溢れている。
ただ、収納がないのが残念。アレグザンダーも収納を妥協した。「妥協された収納」というパタンランゲージか。
バルコニーから部屋側の窓まで妨げるものがないので、風が通り抜ける。つまりパティオと道路を風が通り抜けられる。超気持ち良さそう。
パティオに降りて見上げると...
パティオから見上げる。ベランダの位置、開口部の大きさ、窓の割り方、すべてそれぞれ違う。
パティオ。共用の物干し場。1階の住民はこれに面している。BBQもできそう。中央3階廊下の天井が市松模様になっているのも素敵。
うーん、すごく気持ちいい。住民がみんなテラスから顔を出したら、ちょっとした舞台装置になると思う。簡単に断面書くとこんな感じ↓
パタンランゲージ「だんだんせり出すテラス」か。
アレグザンダーは理論家としての方が有名で実作はそこまで評価されていないけど、実際行ってみるとすごく気を配っていて、気持ちよかった。優しい人だったと思う。老夫婦が住んでいたし、猫もたくさんいた。
現在の多くの集合住宅(アパート、マンションも)は、ただ同じ建物に住むという意味しかないのが現状だ。集合する意義がまったくない。同じ土地を積層させた経済性の良さだけ。集合住宅は「みなで何かを共有する」チャンスなのに。ここではだんだんバルコニーやパティオなどのからくりで空間を共有している。老夫婦が住み、窓際から猫が挨拶してくる。猫パティオという舞台をながめていた。
またアレグザンダーの実作見に行こう。
ゆるい坂道。ちょうど地質のキワであった。下りてきた舟の感あり。
その後Sと喫茶店で話す。現実の話、妄想の話。
彼の波動論と僕の砂の話の接続、黒潮への拡張。流体による移動という面で砂漠と黒潮をつなげる試み。
「点より線、線より面」というのは最近考えていた何かのキーワード。
あとパタンランゲージ。
言語のもつ二つの側面。文法などの「構造」(ランゲージで建築つくるという構築)的な面と、言語の持つ「幅」の面。後者はランゲージからの連想ゲーム。木曜日カンブリア宮殿でみた東京R不動産のやっていることは、パタンランゲージの後者の力を使う。
千年村パタンランゲージはスケールの違いでレイヤー化するべし。
あと見えないヒエラルキーの話。
最近考えるホテル清掃員=東南アジア系労働者の相対的な位置付け。ねじれた立場の解消の難しさ。フランスでメシを提供する白人、それを下げる黒人の話。極端な話、奴隷制が目に見えないだけで続いている、見て見ぬ振りの現実の話。
あと換気とゴミの話。
換気こそが住空間の快適さの非常に大きなパラメータであると最近意識する。高層で大きく破綻する。吉阪卒論、中国における日本人の我慢のならなさ。アジアモンスーン。
ゴミがゴミとなった瞬間にゴミとなること。
鈴木了二の震災ガレキへの気配り。
など。
今日は自宅のシロアリ予防薬のことばかり考えていた。
明日はついに床下にもぐってシロアリ対策をする。勉強もしなきゃ。
これから夜中2時までファミレスで勉強してきます。
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