最近は毎日労働ばかり繰り返している。
東京の大きめなホテルで夜8時から朝4時半まで働いている。体内時計はぶっ壊れている。
加えてずっと続けている飲食の労働も時々入っている。
そんなこんなですがなかなか旅行の計画が進まない。非常にまずい。
まとまった勉強時間がなかなかとれないでいる。本末転倒おじさんが来てしまうかもしれない。
でも、色々な人を紹介していただいたりしている。
吉阪隆正の卒業論文「北支蒙疆に於ける住居の地理学的考察」をひさしぶりに読んだ。
1940年の段階で、卒論生が、よくこんな論文をかけたものだ。
中国北部、内モンゴル、中国東北部の住居を地理学的な視点で見るというもので、佐藤武夫、十代田三郎両先生の調査についていった一ヶ月ほどの調査をふまえたもの。
論文構成は、
序論 建築の地理学的考察の意義と目的
本論 北支蒙疆の住居について
第1章 概説
第2章 気象的条件による変化
第3章 主要材料による変化
第4章 民族別による住居
結論
であり、大東亜共栄圏などの当時の世相のもと、現地の伝統的住居の特徴や分布を述べ、その図面を作成し、さらにここに入ってきた日本人たちの住居はどうなっているかなど。
日本人は開放性と畳を捨てきれない。
序論で
「人間は世界から作られ、作られたものであり乍ら独立なものとして逆に世界を作ってゆく」という事がいわれ、更に自分の作った世界に再び作られてゆくという事もいわれるのではあるまいか。
なんて文章があり、のちの有形学がここにすでにあることがわかる。
僕が研究室でやっている千年村研究では、環境・共同体・交通とそれの統合としての集落構造という視点を軸に日本の集落を調査しているけど、吉阪は同じようなことを1940年にやっている。さらにその調査のみならず、その分布から歴史的な文化の伝播、そして大東亜による日本人進出に伴うあらたな住環境の創造(伝統的住居と日本人の住居の折り合い)みたいなことまで考えていた。
まあ、千年村はそれを運動としてやっていこうとしているので若干の違いはあるが、
改めて吉阪の巨大さを知る。
乾燥地帯に憧れはある。住みたくはないが。
昨年末に小岩先生に旅行計画を見せたら、「砂漠ばっかりだね」と言われた。たしかに砂漠ばっかりだった。けど見たいものはしょうがない。
最初タクラマカン砂漠を目指すのはいまのところ変わっていない。シルクロード沿いのオアシス都市。パキスタンのフンザには行けるのか、行けないのか...。
そういえばタクラマカン砂漠を調べていたら、かつて氷河期のころ、そこは海(湖)であったという説もあるようで、夢のようだなと思う。
砂への興味はもちろん安部公房の砂の考察にも依っている。
吉阪も最初乾燥地帯を見聞している。ウオーと走り出したのはこの旅行でかどうかしらないけれど。僕は2013年に伊豆大島の三原山でウオーと走り出したことがある。
北支蒙疆の日干し煉瓦の家の構造はだいたい、木骨らしい。意外。かつて豊かな森があったか。
あと台湾にもやっぱり行きたいなと思ったり。
黒潮はいつまでも頭の中を流れている。
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