2015年7月13日月曜日

【平遥】黄土高原の「建築する意志」

□平遥へ


ヤオトンを十分堪能した後、三門峡から列車で7時間ほどかけ、平遥(ピンヤオ)という場所に来た。
この近くの太原という町が僕の留学生の友達の故郷で、その地元の友達4人が、初対面にもかかわらず2,3日ここらへんを色々と連れて行ってくれた。とてもありがたかった。

さて平遥も三門峡と同じく黄土高原上に位置しており、現在世界遺産ともなっている平遥古城という城郭都市が残っているところである。
世界遺産と言うと観光客でいっぱい、財布から逃げていくお金も数知れず…という苦い経験をしてきているのだけど、ここ平遥はそれでも素晴らしいと言わざるを得ない場所であった。
平遥古城は明代(1368-1644)から清代(1644-1912)末まで山西商人の拠点であり、金融の町として発展していたらしい。20世紀後半になんやかんやで金融業務がうまく行かなくなって貧困地域になり、再開発がされなかったために14世紀の明代はじめにつくられた町が残ることになった、というなんだか良いのか悪いのかよくわからない場所である。

□大邸宅見学


その清代末期まで栄えた金融屋さん(票号というらしい)は一家で行っており、この家族による大豪邸がこの付近にいくつかあった。
こちらは古城に行くまえに寄った梁家大院という300年前くらいの清代の大邸宅。

中国感ある

基本的に構造が木の柱と梁、壁は古いレンガである「磚(せん)」によって作られている。


保存されている部分はどの建物も同じ感じで、あまり面白くなかった。
でも町のようなこの大邸宅に現在は他から来た人が住んでいるらしく、清代の建物に解放後の人々が勝手にレンガとかで増築して住みついてる感じは中々おもしろかった。

右上にちょっと見える屋根は清代の建物、その軒下に増築

しかしここではむしろ展示スペースにあった、漢代の家型模型に一番惹かれた。
漢代とはwikipediaによると大体紀元前206-紀元220年くらいなので、2000年前くらいのものということになる。

人柱の表現?かなり古いものだけど結構適当に展示されてる

側面にもなにやらの模様が


高床式の建物の基礎部分にはよくわからない生き物がいる。2階正面の4本柱には人っぽい彫刻がなされ、人柱を表してるのかしらと思わざるをえない。これについて詳しくはわからないけど、2000年前には生き物の犠牲や呪術的なものの上に建築が成り立っていたことを表現しているのだろう。
2階入り口と屋根には3羽の鳩っぽい鳥がいる。インドネシアの民家のレリーフにも屋根の上に鳥がいたことが思い出される…。昔、建築はただモノをつくるのではなく、大いに宗教的な意味を持っていたんだろう。そういうところに惹かれてしまうのである。


□千年村としての平遥古城


本題の平遥古城である。
位置は、中国の北東部。

西にリュイリャン山脈、東にタイハン山脈がそびえている。敵は南北からしか攻められない。

そしてもっと拡大すると、黄河の支流であるフェン河が近くを流れていることがわかる。

さらにフェン河の支流が城壁のすぐそばを流れている。
南側の堀は元々流れていた河川を利用したものと思われる。

非常に大きい。城壁は一周で6.2kmにもなるという。




城壁にのぼって見たメインロード。僕の中国のイメージはこんな感じでした。


古城は金融で栄える明代よりも前から人が住んでいた場所らしく、元の城壁は紀元前に作られたという。そして観光地化が進みつつも現在でも15万人が住んでいる。古い道教の寺や古代の県庁も残り、メインストリートには土産物屋が立ち並ぶが、ちょっと見渡せば老人たちがトランプやってたり、犬や子供たちが駆け回る生活が繰り広げられている。
つまり千年以上生活が持続している都市型の千年村と考えてよいだろう。


中国人は「ポーカー」という名前で日本で言う大富豪をやっている。


城壁内の一般住宅

普通の家も中国伝統の四合院(磚造の建物で中庭を囲む)であることが多い。こちらは中庭で家庭菜園をしている。

夜のメインストリートは綺麗にライトアップされている。



ここにはバーとかクラブとかも入っていた。ここで友達とビールを飲んでいたら、同じく旅行者の中国人の女の子たちと飲むことになって、病み上がりの僕はたくさん飲まされることになったけど楽しい思い出です。


□平遥古城にヤオトン技術を見る


僕がここで見たかったのは、長い歴史を持つ城郭都市が「黄土高原」という、これまで見たヤオトン集落と共通した環境を持つことの意味である。
つまりこの古城の中にヤオトンと通ずるものを見ることはできないか。それが発見できたら面白い。

それで延々歩いていると(このときも下痢だったので古城内の宿に3泊した)色々発見した。

例えば道教の寺(Qing Xu Guan Taoist Temple)。
基本的なお堂の構造は木軸+レンガである。

メインっぽいお堂。この中に神様の像がいました。

これもこれで、木造建築にレンガのズボンを履かせたみたいで面白い。

しかし裏庭の一番奥に行くと明らかな地上ヤオトンのお堂が建っていた。

お、出ました

位家溝村で見た道教の寺院と似ている、ヴォールトの組み合わせ。

この構法による断熱性能とかも説明板に書いてあった。この中にも道教の神様が祀られている。

さらに、昔の県庁だったという場所にも、同じようなお堂が。

正面

内部。少し西洋のロマネスクを感じる。

道教のお堂にはこのような地上ヤオトンが多いのだろうか。道教は色々な信仰が混ざって成立しているみたいだけど、黄河流域でこのカタチが生まれて、黄土高原以外の場所にもこれが伝わっていたら面白い。(現在いる香港の漁村で見た道教の寺は全く違う構造をしていましたが)

こちらではスケッチも書いたり。



この県庁には清の時代まで使われていた牢屋があり、そこも見てみると

こんな外観に

おお、見たことある!!

さらに

おお、カン!

横にちゃんとカマドがついたカン(ベッド)まである。これは僕が村で見てきた部屋と同じである。

また、城壁に登ったときに、門の近くにもヤオトン的な部分が。



以上のように、古くから都市的な平遥と、今も農村である張村・位家溝村には、黄土高原上に位置するという共通点を持つために非常に似ている構法・技術が使われていることを発見することができた。


□建築する意志 人工の黄土層


今回平遥古城について色々書いてきたけど、黄土高原にこの城郭都市が存在する意味についての極めつけが、城壁である。

実は僕が最初から最後まで感動しっぱなしだったのは、この城壁であった。4日間の滞在のうちの3日間はずっと壁を見ていた。

城壁外から見たカベ

平均高さ10m、下部の幅8-12m、上部の幅2.5-6m、総延長6.2kmの壁。


表面の磚がはがれている。これから修復するらしい

壁の上は歩けるようになっている。


説明板によると元は周の宣王の時代(紀元前827年-782年)に作られたのが始まりだという。実に2800年前…。
現在の城壁は明の1370年に築かれたとされているから、築600年以上である。





ところどころ、磚がはがれて黄土がむき出しになっている!

600年前にこの城壁をつくった人々は、黄土高原を壁に閉じ込めたのだと思った。
いま600年経って、劣化して、黄土があらわになっている。

なぜなら位家溝村で見たむき出しの黄土層は、これとそっくりなのだ。

位家溝村で見た天然黄土層


よく観察すると、この壁は一番外側に磚、そのなかに日干しレンガ、黄土が層になって固められている。



日干しレンガの層が見える

黄土も層になって固められている


作り方を博物館か何かで見たかったのに、訪ねてもそういう資料がどこにもなかったのは残念だったけど、断面図は大体こんな感じだろう。




この地に無尽蔵にある黄土を、人類の手で閉じ込めて、新たな自然を作り出すこと。
自然の再構築。
これこそ「建築する意志」と呼べるものであり、こういうものこそ「建築」である!


と、ちょっと夢のように、遥か彼方に思いを馳せる平遥での体験だった。

2015年7月12日日曜日

【三門峡市 位家溝村】横穴式ヤオトン集落 -古きを利用し、新しきも建てる-

長きにわたって下沈式ヤオトン集落・張村について書いてきたけれど、今回はもう一つのタイプである横穴式ヤオトンが広がる集落について書こう。
場所は、同じく三門峡市郊外の、位家溝村である。


□位家溝村はどんなところか


僕がなぜこの村を知ったかというと、『中国大陸建築紀行』という本の中で紹介されていたこの航空写真を見てビビったからである。

あまりにも劇的な航空写真


この、等高線(段丘)に沿った横穴式ヤオトン。是非行きたいと思って事前に留学生の友達に伝えておいたら、これまたwenwenの活躍によって1泊2日での訪問に成功した。

googleの航空写真でもわかる通り、ここは黄河の近くに位置している。

赤いポイントが位家溝村のあたり。黄河がすぐそばを流れているのがわかる。


かつて黄河の支流がここを流れていたのであろう。河の作用によってできた段丘がダンダンと連なって、それらに沿って住宅と農地(ダンダン畑)の土地利用が今も続いている集落ということがわかった。大変わかりやすい。
河岸段丘と言ってよいのだろうか。そこは専門ではないので正確なでき方などはここには書けないが、河岸段丘は河の浸食作用と地形の隆起などが繰り返し起きてできるらしい。


黄河支流がかつて流れていたことがすぐわかる。

段丘のスケッチを描いてみると、段丘の高さが低いところは農地に、高いところは横穴式ヤオトンが掘られるのだということもわかった。

段丘のスケッチ

集落の簡単な断面図を書くとこんな感じであろうか。

何年にもわたって削られつくられたダンダン。崖が高ければヤオトンが掘れる。


最も家が密集する中心部分。三段くらいの段丘がこの村の主な居住範囲になっており、あとはダンダン畑。はっきりした土地利用。まるでユートピアである。


着いて宿を探すも、特に観光地になってたりするところではないので宿がない。
僕は集落の男たちの仕事場(なんか村の色々を決めるところと推測する)の一室に泊まらせてもらえることになった(それも横穴式のヤオトン)。
一泊分の値段を聞くと、「人が来るような場所じゃないから、お金はいらない」と言われ、一泊と3食を無料で提供してもらえることに。なんという待遇。
食事の時間になると「おぉーい、メシだぞー!」と呼ばれ、村のお母さんみたいな人が作ったメシをありがたく食らったのであった。幸せでした。
※2日目に食べた秘伝のタレみたいのにあたってその後三門峡市のホテルでめっちゃ吐きました。


さてこの村には「樹齢千年の木」というみんなの大切にする木があって、それが結構良い場所に生えている。つまり聞くところによれば、この村は千年以上続いているのである。最初に僕を案内してくれたひょうきんな男は二千年と言っていたが。
いずれにせよ、この村が長く続いている秘訣は何だろうか。

村より高いところに千年の木。この木をネタにここを観光地化しようと周囲の開発がはじまっているが、残念ながら計画案がかなり雑でひどかった。


また航空写真でも確認できる、岬状になった先端に道教のお寺があり、こちらもかなり古いとのこと。(ひょうきん男はここでも二千年と言っていたがそれはあやしいぞ)

大事な場所はいつもわかりやすいものである


寺の内部は、ヤオトンの技術を応用していた。このようなものを地上式ヤオトンと呼ぶらしい。しかし道教ってのはよく知らなかったけど神様の像がカラフルでちょっと気持ち悪かった。教えとしては、山や川にそれぞれ神様がいるっていう感じで日本の神道に似ている。日本には直接は入ってきてないらしいが、方角による吉凶とかは道教の影響らしい。

ヤオトンのヴォールト天井と少し気持ち悪い神像。


仕事は農業中心で、ちょうど収穫した小麦を干す季節だったので、なかなか面白い光景が見られた。

庭に小麦を干している



□横穴式ヤオトン


この村でもいくつかの家に訪問することができた。
とりあえず適当に歩いてて、家を覗いたり絵を描いたりしてると興味を持たれるので、ここですかさず「あなたの家はどこ?見せて!」と言うのである。中国の農村でのこの流れも、もう手慣れたものである。

横穴式ヤオトンといっても基本的には下沈式と同じようなもので、もともと存在する「崖」(河岸段丘で言うところの段丘崖)を掘っていく、という実に原始的で、地形に規定された住居である。文献によれば横穴式がヤオトンの一番初期の形態で、良い崖を掘り尽くした人々が平地にヤオトンをつくろうとしたのが、あの奇妙な下沈式というわけである。

■良い立地の老夫婦の家


厳密な村の範囲はよくわからなかったのだが、僕の泊まったところから谷をはさんで向かい(違う村という説もある)に、かなり良い立地に屋敷を構える家を発見し、そこを訪問した。

谷をはさんで向こうに見えるおおきな屋敷。

構造:横穴式ヤオトン、1階建て×6穴
家族構成:老夫婦
築年:元々は不明だが1985年にリノベーション(修建)。

こちらはL字型に横穴式を堀り、庭を塀で囲んで敷地を構成している。こちらの崖面は東と南に向かっているので採光は良好である。もともとこういう形であった崖を利用している。

手前が訪問した家、塀を挟んで隣にも他の人の敷地がある。



ファサードは黄土むき出しのままでは雨に弱いので、石やペンキで作り替えられ、さらに鉄筋コンクリートでひさしを付け加えて、なかなかきちんとリノベーションしている。この石はどこの石かと聞けば、「向こうの山からとってきた」と言ってじいさんは対岸の山を指差す。

これで雨にも負けない


以下が配置平面図。

配置平面図。はっきりと実測はできていない。


南向きで、庭では家庭菜園をしていてきれいに手入れされた家である。
この崖面にはでかい家が多く、もしかしたらこの地に来た初期の人々が占有した地かもしれないと思った。しかし、現在集落の中心となっているのは僕の泊まった対岸の方である。たぶん、そちらの方がヤオトンをつくれる高さの崖面が多いのだろう(断面ダイアグラム参照)。上には国道(と思われる大きい道路)も通っているし。

こちらがじいさんがメインに過ごす部屋。

正面

内部は白いしっくい塗り


さて部屋はとくに下沈式と変わったところはないが、土の中とはいえ入り口が地上に面していて風通しも良いので、幾分湿気が少ない気がする。そして張村で見たヤオトンより奥行きがあるのは、この湿気の少なさのためでもあるだろうか。
老夫婦の2人暮らしなので、6部屋中2部屋は物置、1部屋は使っていない穴になっていた。
住み手の年齢的に存続が怪しいものの、RCで補強、中庭にコンクリート打つなど現代の生活に適応しながら使い続けているので好感を持った。


■家畜と住む家


対して集落の中心部、案内してくれたひょうきん男が「老ヤオトン(古いヤオトン)!」と指差した先にあったのは、確かになかなか古そうである。
中から元気なおばさんが「おいおいおい、今なんて言った??」みたいに言いながら出てきた。

構造:横穴式ヤオトン(使っているのは4穴)、RC造の新家屋
家族構成:おばあさん、息子家族4人、アヒル1匹、ニワトリ21匹、子犬1匹、牛1頭
築年:不明。ヤオトンは相当古いとのこと。新家屋はここ15年くらいに建てられたと思われる。

横穴式ヤオトンと、地上の新家屋。


この家では、古いヤオトンと、新しいRC造の小屋を両方使って住んでいる。ヤオトンには主におばあさんが住み、息子家族は小屋の方に住んでいる。
ヤオトンを覗き込むとおばあさんの他に、牛も住んでいた。

牛を引くたくましい女である


こちらが配置平面図。

手前に道がある。ヤオトンと地上家屋でL字に庭を囲む。


ばあさんの部屋は奥行き12mで、こちらも張村の下沈式よりずいぶん長かった。黄土むき出しなので若干天井が崩れていた。よくこんなとこに住めるてるなと思った。

天井が崩れても住む。


息子夫婦の家は新しい。寝室が4つ、居間が1つ。さらにばあさんはここで商店もやっている。

息子家族の家屋のあっさりとした居間


庭にはアヒルやニワトリがいる。子犬が僕の足に絡み付いてくる。

自由な家畜たち



僕がこの村で驚いたのは、張村とは違って多くのヤオトン住居が捨てられずに使われていることである。
「家畜と住む家」と同じように、横穴式ヤオトンの前の中庭を囲んで塀で囲い、中に新たな小屋を建ててどちらも利用している家が多かった。

ヤオトンの掘られた崖の上から撮っている。ヤオトン+地上の小屋で台形の中庭をつくる。


高い黄土層に堀ったヤオトン、その目の前に小屋。


こちらも新旧が共存して使われる。


ヤオトンに向かい合うように小屋を建て、その間を中庭にする。




この古い横穴式ヤオトン-新しい小屋の関係を断面ダイアグラムで書いてみる。

位家溝村断面ダイアグラム(詳細)

こんな感じになる。
ヤオトン-地上家屋-塀-門までが屋敷のセットになり、その前に道が通り、そこから下の段丘にまたセットが続く。この3段くらいがいまの位家溝村の集落構造のパターンである。
横穴式ヤオトンは現在も地上家屋と併用して使用することができるのである。




□「古きを利用し新しきも建てる」ということ


これまで下沈式ヤオトンの村・張村と横穴式ヤオトンの村・位家溝村を見てきた。前者のヤオトンは現在では大半が打ち捨てられ、元の土地に戻すこともできず、張村の多くの人々はそのすき間、もしくは集落外に地上家屋を建てて住んでいた。

一方で位家溝村のヤオトンは、その前面に地上家屋を建てて元のヤオトンと併用することで現代的な快適さを手に入れつつ、ヤオトンを住居・物置・家畜小屋などとして積極的に活用して暮らしていた。

この違いは、下沈式と横穴式の「現代適応性」の違いによるものと思われた。
つまり横穴式は、本来使わない崖面に穴を掘ってつくることによって、地上家屋の建設を邪魔しないばかりか、地下ではないため地上家屋との共存ができる。ヤオトン居住者が求めた現代的な生活(風通しや採光)の一面を獲得しつつ、ヤオトンを利用し続けることができるのであった。

しかし下沈式は、横穴式を掘るための崖がなくなったので平地の地下を堀ってつくるという形態である。その工夫はもちろん賞賛に値するし、景観的にも面白いものになっているのだが、本来その成り立ちから若干アクロバティックな(無理がある)方法のため、現代的な地上家屋との共存が難しいのではないか。現代生活には適していないのでその保存となると冷凍保存的なものになってしまいがちである。

このように横穴式ヤオトンは下沈式ヤオトンに比べ現代適応性が高く、まだまだ人々に使われそうだという結論に至った。ここにプリミティブな方法の強さを見る。
下沈式は、いずれ自然に還っていくのだと思う。

「家畜と住む家」スケッチ


この「家畜と住む家」が、古きヤオトンと新しき地上家屋の共存する世界を大変わかりやすく示している。

「古きを利用し、新しきも建てる」ことができるのが、豊かな村の秘訣かもしれない。



今回で長きにわたって書いてきたヤオトン記事が終了です。
現在香港の知人宅で断食によって慢性的下痢を治療しようと奮闘中なので溜まったブログを更新していきたいと思います。