2015年7月11日土曜日

【三門峡市 張村】地上に上がった人々の家(まとめ編)

本日、香港にきました。昨日まで新疆ウイグル自治区にいて、ネット規制によりまったくブログの更新ができなかった。ちゃんと生きています(しかし慢性的におなかを下している)。
ブログに書くべきことがいくつも溜まってしまっているので、早速更新していきたい。


3回にわたってしまった下沈式ヤオトン集落の新房子、地上に上がった人々の家の話、そろそろまとめましょう。

□地上に上がった人々の家は


●集落外はRC造・レンガ造(あまりみてないけど)、集落内はヤオトンのすき間にレンガ造が多い。

基本的に中国の田舎はどこも、レンガ造が多いですが、それはコンクリートを作るときの型枠が必要ないこと、プロでなくても積めること、レンガはどこでもつくれること(特にここらへんは粘土などレンガの材料は無尽蔵だと考えられる)がその要因であろうと考えられる。
さらに、集落内はヤオトンがあって、2つ前のブログで触れたようにヤオトンのある場所は土地が使えないので、集合住宅のような大きい家は建ちにくい。つまり小さな小屋が多く、それらはコンクリートよりレンガでやったほうが手っ取り早いのかもしれない。


●新たな住居の小屋は、1スパンが3200mm前後のものが多い。

基本的に長方形の部屋を横に連ねていくタイプが多い。
これは、実際に中を見ていない家でも、大体予想できる。
また、外から大体の大きさをみても、同じようなモジュールで建っているものが多かった。





さらに偶然実測したトイレも幅が3300mmと、ほぼこのモジュールに則っていた。

公衆便所平面図


そして僕も驚いたのだけど、張村にはキリスト教徒が多く、訪問した人々も多くがキリスト教徒であったのだが、村の中にある教会も住宅と同じスケールを連ねて建てられているものであった。

教会

側面から見た教会(住居と変わらぬ見た目)

教会の内部を窓から覗いた写真

教会の平面図

発言力のあるリーダーの小屋に貼られたキリスト教のポスター。みんなこういうの貼っていた。

しかしこの3200mm前後というものがどのように決定しているかはこの短期間ではつかめずに終わった。


●下沈式ヤオトンと直接の関係はあまり見られなかったものの、インテリアにいくつかのヤオトニズムが生きていた

かつてヤオトンの中では、冬のベッドを暖めるためにかまどがベッドに併設されていた。このような寝室と調理場の共存は、ヤオトンから地上に上がっても見ることができた。スペースの少なさもあるとは思うが、当然のようにベッドの横に野菜を切ったり麺を打ち、そして茹でられるスペースがあるというのは少し変わっているように思える。

ベッドの足下で食材を切り、調理する(昼下がりの夫人の家)

またヤオトンで見られた、入り口はいってすぐのところにある棚(机)や、その上に自分の写真を飾る風習も生きていた。
発言力のあるリーダーの家では、地上に上がって湿気とオサラバしたはずなのに新聞紙を壁全面に貼り続けていたし、ヤオトン時代のベッド「カン」も引き続き利用しているようであった。



このように、張村のヤオトンから地上に上がった人々の家は、たんに中国のどこでも見られるレンガ造りの家に変わったように見えるが、その中には下沈式ヤオトン集落ならではの立地条件、さらに謎の3200モジュール、ヤオトン時代の名残などいくつかの特徴を(見た限りであって厳密ではないが)持っていたのであった。


簡単ですがこんな感じで。次回はもう一つの横穴式ヤオトンの集落、ユートピアのような村が登場です。

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