お久しぶりです。
タシュクルガンについてはこれまでに初日に訪問したダンディというじいさんの家、そして次の日に呼ばれたダンディの親戚の結婚式の話をした。
タシュクルガンは2泊しかしなかったので詳細な調査とはいかなかったが、タジク族の村について考えた少しのことをまとめとして書いておこう。
今回もトルファンの時と同様に
ⅰ.どこに住むか?(立地)
ⅱ.どう住むか?(家)
という分け方で書いてみる。
ⅰ.どこに住むか(立地)
僕が訪れたのはタシュクルガン・タジク自治県の中心「タシュクルガン」であり、その他にもこの県には山の中にいくつかの村があるはずでる。
タシュクルガンは、西側の中央アジア(〇〇スタン系の国)の山の間から来る水がつくるデルタ状の形をしている。さらに東側は南から北へ流れていく河の通り道であることがわかる。(というより、湿地帯になっていたからここらへんに水が溜まっているのかもしれない。正直ネットで探す限りでは川の名前もどれがどれだかよくわからない。)
雨が少ない山の中(標高3200m)で、このように水が豊富な場所が栄えるのは集落の常である。
タシュクルガン・タジク自治県の中心、タシュクルガン
そして以前書いたように、タジク族居住区はこの町のさらにメインロード(少ない漢民族はここに住んでいると思われる)から歩いて15~20分くらいのところからはじまる。
タシュクルガン中心部の大体のゾーニング。
今回集落の立地について考察するのは石造りの家が建てられるタジク族居住区である。
□丘の上の墓場
さて、ダンディの家のまわりを歩いていると、小高い丘に出くわした。高さ20mくらいと思われたその丘を登ってみると(標高が高いため嘘みたいにすぐ息が切れるのでゆっくり)、そこは墓だった。
丘の上の墓。タジク族の墓であろう、ムスリムの形式である。
雪解け水が流れる丘の下と違って、丘の上は荒涼として低木がチラホラ見えるだけの地である。
丘から見下すと、丘-川-農地-家屋-山というここでの生活の詰め合わせ風景が見えた。
丘-川-農地-家屋-山
川の水が行き届かないこの小高い丘には、家が建てられていない。
実見した範囲だけでも同じような丘がもう一つあったが、そこも家は建てられず、墓となっていた。
つまり、雨の少ないこの地で、水から離れた丘の上に家を建てることには無理があったのではないだろうか。
さらに自らの体で感じたことは、風がものすごく強い。周りに木もなく荒涼とした丘の上には、歩くのがやっとというくらいの強い風がビュンビュン吹いていた。これも丘の上に家を建てない理由であろう。wikipediaによるとこの地の夏の最高平均気温は32度だが、冬になると最低平均気温-39度となるのだから、冬の風は死活問題、地獄である。
こうして農地にも宅地にも使えない丘たちは、必然的に墓場として利用される運命にあったのであろう。
「丘の上の荒涼感」(住めない場所)-「低地の豊穣感」(住める場所)のコントラスト
□丘より下の使い方
それでは、丘より下の低地にはどこにでも家を建てられるのか。
その中にもルールがありはしないかと、丘から見下ろしてみる...
どうやら、丘の下の低地の中でも、家は少しだけ高い土地に位置しているようであった。
そして一番低いところが農地になっている。
川に近すぎても増水などの危険があり、かといって丘に上がりすぎても風が強く、不毛である。その中庸が人間にとってはいつも「住み良い場所」となるのだ。ほとんどの家は風対策として防風林(ポプラ)を植えていた。
□立地まとめ
土地の使い方(タジク族居住区の一部、川の跡や川らしきがたくさんある)
タジク族居住区の断面図(タシュクルガンにてスケッチ)
結論:
・タシュクルガンは、標高の高い山の中で二つの方向から水がやってくる場所で、このあたりで農業がしやすい場所である。
・石造りの家が建つタジク族居住地では、幾本もの川によってつくられた微地形を使い分けている。それは丘→墓場、微高地→家、低地→農地という使い分けである。家が微高地に立つことになったのは「風」から逃げて「水」にできるだけ近づくという生活の必要から来ている。
・多くの家が防風林としてポプラを植え、家々は離れている。
メモ:
・現在多くのタジク族がこの居住区にすんでいるのは確かだが、遊牧民のパオの広がる湿地帯との歴史的、地理的な関係性を無視することはもちろんできない。もしかしたら「二地点居住」の生活があったかもしれない。
・タジク族居住区と湿地帯の境目のあたりに古いゾロアスター教遺跡(訪問したがよくわからなかった)、さらに石頭城という城の遺跡(ネット上では1000年以上前という情報も)が存在する
ゾロアスター教遺跡。タシュクルガンには元々ゾロアスター教が存在した。
丘の上の墓に鳥が作られていた。
ゾロアスター教の神、アフラ=マズダを想起させたが考え過ぎか。
ⅱ.どう住むか(家)
□天窓のある部屋
家については前々回のダンディ関連の家がほとんどすべてなのであまり付け足す情報はないが、結婚式でもメインの部屋として使われていた天窓のある部屋は、外観からもわかるのであった。
ガラスが嵌め込まれている
こちらは飛び出ている天窓
前々回の記事にも書いた通り、この天窓は遊牧民のパオの天窓と似ている。
そしてトルファンで散々書いた「天上への指向」をどちらも持っている。
パオの天窓・石積みの家の天窓の比較
少なくとも石積みの家ではこの天窓のある部屋が民家の最も重要部分であった。
□材料
家や外壁に使われる石は、ゴツゴツしたものや川の流れに削られた丸石、両方あったが、もともとは同じ石だったのだろう。石は丘の上や川辺にたくさん落ちていたので無料である。
ゴツゴツ
丸石
もともと敷地にあっただろう巨石を、塀の一部として取り込んでいる事例もあった。
中央の巨石を中心に塀を構成してゆく
家屋はこのような石積みに泥を塗って外壁とするが、塀や家畜小屋には日干しレンガも使われていた。
また、石積みの家は湿地帯にもわずかに確認することができた。
結構古そう。周りに家畜がめちゃくちゃいた
中国のどの地域でもおなじみであるが、近頃は安価であろうレンガが導入される傾向にある。(石はタダだが、おそらく人手がレンガの何倍もかかる)
基礎だけの家を発見し、これから建てられる家の材料が周囲に用意されていた。これらが最近の住宅の材料だろう。
レンガに変わってもいまだに石を使っているようである。
これら新レンガ住宅は壁体の構造を完全にレンガが対応するので、所々に存在したポプラが使われる部分が少なくなっていると思われる。
これは小さな変化と思われるかもしれないが、空間内部にとっては大きな変化であるかもしれない。柱が装飾、結婚式に置いても有効に使われていたからである。
材料の変化でおそらく内部はこう変わる(予想)。
ポプラの梁の上に石をのせている
柱が空間をつくる(結婚式)
トルファンで見られた鉄骨は、パオの構造に使われる細い鉄の棒以外には確認できなかった。山の中までの輸送コストがかかるからだと考えられる。
結論:
・タジク族の家の最も重要な装置は天窓である。天窓がある部屋は結婚式ではメイン会場として使われ、実際装飾も他の部屋より充実している。
・天窓は湿地帯に広がる遊牧民のパオとの共通点である。
・石積みに使われる石はゴツゴツしたものと丸石とどちらもあり。湿地帯にもこのような石積みの家はある。
・石積みの家の材料はレンガにシフトしてきているが、部分的に石も使われ続けている様子。
・レンガ住宅化及ぼす変化は建設コストだけではなく、ポプラを使わなくなることによる内部装飾の消滅かもしれない。
・鉄骨が入ってきていないらしい(少なくともタジク住居には見られない)
メモ:
・こちらも遊牧民のパオとの歴史的関係を理解しなければ説明できないことが多い。
・ダンディの家などに見られた外観の赤と黒の装飾は、見られない家もあったのでなにか親族的なつながりという可能性もあるが、詳細不明。
最後に、この「天国の村」を体現するお気に入りの写真を載せて新疆ウイグル自治区の記事を終わりにしよう。
菜の花畑をゆく老人(タジク族居住区)
草を食む牛たち(湿地帯)