2015年10月20日火曜日

【タシュクルガン】タジク族の結婚式


タシュクルガン2日目。約束通り朝9時にダンディの家に行くと、ダンディともう一人のおじさんがやってきて、これからどこかに行くような雰囲気であった。

ダンディの家から歩いてどこかに向かう途中、コンクリート造のタジクの家も発見した。
色やトップの装飾などは統一してある。


奥が石積みの家、手前がコンクリートの家


静かな道を歩くおじさんふたり。基本的にジャケットをきめている



そして着いたのは、これまた同じようなタジク族の家であった。

右が連れて行かれた家。おなじみの石積み。



何やら人が集まり騒がしいあの"中心の部屋"に通される。するとそこは…


中心の部屋の一角。


柄物の透けた赤い布で、部屋の一部が分けられていた。
その奥には、若い男女が座っているらしい。
どうやら今日は、この二人の結婚式のようだ…。親族たちのさぞかし重大なイベントに、ダンディは昨日会ったばかりの薄汚い日本人の若者を連れてきてくれたのであった。
23歳であるから、日本の結婚式の経験さえほとんどない。


昨日の予想通り、この部屋はタジクの家にとってやはりもっとも重要で、儀式的な要素を持つ部屋だったと考えていいだろう。



こちらの天窓もイスラミックで凝っている。


とりあえず座っていろと言われ、観察していると続々と人が集まってくる。おそらくみんな親戚なのだろう。
僕は特にすることはないので(ダンディ以外とは本日初対面なわけだからわりと肩身は狭いのだ)観察しながらこの結婚式の一部始終を記録することにした。


彼らは新たな人がやってくると毎回タジク流の挨拶をする。
男同士は握手してその手にキスし、女同士は唇でキス、男と女の場合は男の右手の平に女がキス、若い男とおばさんの場合男のほほにおばさんがキス、といった感じで挨拶だけでも色々なパターンが見られて面白かった。

待っている間はみんなお茶と油菓子(味のないクッキー)、チョコなどを食べて喋っている。することのない僕は何杯もお茶をすする。


座っているおばさまたち


タジクのおばさんたちは円柱の帽子にスカーフを巻くというおそらく晴れ姿でやってきている。この色の違いに意味があるのかは知らないが、若い女性ほど派手な色使いであったような気もする。


次から次へとやってくるタジクの女たち。若い人はスカーフを巻いていなかったりもする。



別棟の部屋は男の控え室のような場所になっていた。ここでも再現のないお喋りが繰り広げられるが、僕にはなにひとつわからない。


オシャレな男たち


男はとくに民族衣装を着ているわけではなく、ジャケットにパンツ、帽子は必須でダンディな格好をしている。タバコを吸わない人がいないほどみんな吸っている。




...そうこうしていると軽トラックに乗せられてヤギがやってきた。




これはもしかして"ごちそう"というものだろうか。
ということはこのヤギが今から殺されるのかしら…。



予想はきれいに的中した。


まず、男たちが6匹ほどのヤギを小屋に入れ、何やらノートに書いて品評している。どのヤギを生け贄に捧げるのか選んでいた。



選ばれたヤギくん(羊っぽくも見えるがどっちだろうか)



しばらくすると2頭のヤギがあの部屋に連れてこられ、一族もみんな集合した。
そこでみんな両手を前に差し出し、中年の男性が何やらブツブツ唱えている。神への感謝の言葉と思われた。
みなで最後に声を合わせて感謝の儀式が終わると(アッラーと言っていた気がする)、ヤギたちは家の前に連れて行かれる。


地面に少し掘り込んだくぼみに首をあてがわれ、素早い手つきで鋭いナイフによって首を切られた。この作業は男のみが担当していた。

僕は全く知らない人の結婚式にて人生で初めてヤギの屠殺現場を目撃した男となった。
※動画も写真も撮ったけれどこういう場にあげるものでもないのでやめておこう


暴れるヤギを男たちが抑え、完全に死ぬと見事にどんどん皮をはいでいく。ナイフの切れ味は抜群だ。
興味津々に見つめる僕を見て、男たちも笑いながら張り切っている。
取り出された内臓はあまりにも綺麗だった。


しばらく解体ショーを眺めていると、あの部屋から軽快な音楽が聞こえてきた。
入ると部屋の真ん中で老若男女が踊っている。結婚式の宴である。


踊り手は入れかわり、立ちかわり。部屋に30人はいたかな。


女の叩く太鼓と男の吹く小さい笛による音楽が、日本の祭りの音楽に似ているなと思ったりした。

踊りの様子


部屋の中心を使って、踊りながら回り続ける。定型の踊りはなさそうで、両手を広げて踊っている。
(あとからネットで調べたら、タジク族の踊りは鷹?の踊りで、それはゾロアスター教の名残があるとかないとか書いてあった。)

昨日重要だと感じたあの部屋の使い方がこんなに間近に、しかも最も大事な日のひとつであろう結婚式において見られるとは。


結婚式における中心の部屋平面図と使われ方のメモ



解体班に戻ってみると、殺された計3頭のヤギの頭をガスバーナーであぶっていた(煮込むのだろう)。肉の処理には女も参加していた。

また部屋に行ってみると、新郎新婦が何やらボウルに入った小麦粉をかき混ぜていた。初めての共同作業、ケーキカットの用なものだと解釈した。


赤い布を頭にかけた女の人が新婦、その隣が新郎



他の部屋も覗いて見たら、こちらもゴージャスすぎる部屋があった。

布にまみれて眠るのだろう


一族の中には子供たちもいて、家の内外を走り回っている。一人の少女は僕に興味を示し、ずっとついてきた。
この少女とスイカを食べるなどして過ごす。

小さいながらもしっかり民族衣装



調理場から包丁の音が聞こえ始める。昼飯だ。

昼飯には透明な麺の入ったトマトベースの料理が出た。ありがたいことに部外者の僕にも提供された。牛肉、ジャガイモ、パクチー、白菜などが入っておりとても美味であった。

食べるタイミングはそれぞれ。


たしか手で食べた。

ヤギはいまさっき煮込み始めたばかり、焼いた頭もバラされ煮込まれていた。


さっき殺したヤギを煮込む


このスープを味見させてもらったら、僕にとってはヤギ臭が半端なくてキツかった。


そのあとなかなかヤギ肉料理は出てこなさそうなので、次の日の下界に戻るチケットを買いにいく、といってこの家をあとにした。

この家からはこんな景色が毎日見える。




2時間後くらいに結婚式の家に戻ってみると、なんともう会が終わっていた。
しかし挨拶しておこうと思って中に入ると、「飯食ったか?」と言われたので、「食ってない」と言うと、あのヤギ肉の入った「ポロ」(ピラフのようなもの)を食べさせてくれた。



スープは無理だったが、これはいままで食べたヤギ肉(羊肉)の中で一番美味くて、ちょっと感動した。数時間前まで生きていただけある。



その後ダンディはもう家に帰ったと思われたので、お礼をしに行った。最後までクールな男だった。ありがとう、写真おくるよ。


部屋の使い方をはじめ彼らの生活を空気で感じることができた、もう多分一生見ることはないだろうタジク族の結婚式の話でありました。





2015年10月16日金曜日

【タシュクルガン】天国の村、タジクの家



トルファンの旅を終え、寝台列車を乗り継いで、これまたシルクロードのオアシスであるカシュガルという中国の西の果てに着いた僕は、ここでかなり体調を崩すことになった。トルファンと同じくウイグル人の町であるカシュガルでは有名な日曜バザールなどにも行ったが、いかんせん果てしのない下痢のため楽しめなかった。異国で米を買っておかゆを作るだけの無生産の日々であった。
そして僕はカシュガルからさらに西、google earthでは標高3,100mほどのタシュクルガンという村に、バスで向かうことにした。
(事前情報は「景色が良い」ぐらいであった。)

トルファン、カシュガル、タシュクルガンの位置関係。ほぼ中央アジアである


水色の線がカシュガル〜タシュクルガン間のバスのログ(雪山が見える)。赤い線がパキスタン国境。


約7時間、下痢におびえる僕の気持ちも知らずにひどい土煙をあげながら、バスはぐんぐん山を上っていく。運転手はタバコを吸いながら仕事をしていた。しかし車窓から見る景色は明らかに別世界で、山にきたという感じが僕を快復へと向かわせる。ラクダも歩いていた。

山は空気ががらりと変わるね



かわいいフタコブラクダが山道をゆく



タシュクルガンから少し行くとそこはもう中国-パキスタン国境である。中国の西の果て、当時の僕の日記には「案外簡単に来れてしまった」と書いてある。

ここタシュクルガンはウイグルではなく、「タジク」という人々の村である。どうやらイラン系の民族らしく、彼らもイスラム教徒。タジク語を話すが、文字はウイグル文字を使っているらしい。

タシュクルガンのメインロード


メインロードはきちんと整備されている。そして標高が高いので7月と言えど、夕方からは肌寒い。


ゲストハウスに荷物を置いて、宿でもらった地図に書いてあった「タジク族居住区」を目指して歩いていくことにした。(小さい村だが、ここでも中心部には漢民族が多いのか。)


□ここを天国と呼んでもいい




中心部から歩いて20分くらい、目の前にこんな景色が現れた。



一面の菜の花畑と、その向こうにそびえる山。天国とはこんなところなのかしらんと、気持ちよく歩く。気候も涼しく快適だ。
ここに暮らすタジク族は一体どんな家に住んでいるのだろう。



□家畜小屋を観察してみよう




家畜小屋を発見したので、手始めに観察してみることに。トルファンでぶどう干し小屋から民家のエッセンスを取り出せたのと同じようなことが起こらないとも限らない。




なんだか面白い作りだ。家畜はあいにく不在であったが、書いてみた。
(はたから見たら何と変な人間だったことだろう。家畜不在の家畜小屋の目の前に立ち、見つめ、スケッチしている異国の男が一人。)


非常にシンプルな平面の家畜小屋



壁の厚さは、ここが寒い土地であることを物語っている。



□タジクの家を発見




「寒さとどう闘うか」だなあ、と考えながら歩いているとタジクの家が見えてきた。


タジクの家スケッチ


おお、なんと石を積みまくっている!しかも、バラバラな大きさの石だ。
石積み丸出しの部分は家畜の家で、家はなにやらキレイに泥で塗って、トップに赤と黒の文様が描かれていた。
この家をぐるりとまわる動画を撮った。(風の音がすごい)






□ダンディと出会う




この家の前に流れている、山の雪解け水の川べりに腰掛けスケッチをしていると、一人のじいさんが話しかけてきた。その人こそ僕のタシュクルガンでの体験を素晴らしいものにしてくれたじいさん、通称"ダンディ"であった(顔も声もかなりダンディでかっこいいので)。

ダンディは僕のやりたいことをすべて悟ったように、言葉少なに家に招いてくれた。


ダンディの家、外観



こちらの家もさきほどのようにトップに赤と黒の文様がある。これはタジク族の文様だと聞いた。
部分的に日干しレンガも使われるが、基本こちらも石積みの壁であるようだった。


「ダンディの家」
築年数:3年前にここに移ってきたと言っていたので築3年かもしれない。
規模:平屋
構造:石積み、一部日干しレンガ、中にポプラの柱と梁
屋根:ポプラの陸屋根におそらく土


入ってみると、とても綺麗にしている。と共に、その壁の重厚さに圧倒される。

いくつかの部屋に通じる玄関的な空間


測ってみると壁厚が700mm(!)もあり、この地の冬場がいかに厳しいかがわかる。

全体平面図がこちら。


ダンディの家平面図。途中で石を書くのがめんどくさくなりましたがおそらくカベはすべて石です。



かまどのある白い部屋。



玄関的な空間を入ったさらに奥に通された。どうやらここが客間であり、最も手の込んだ部屋であるらしい。図面で一番充実している部屋。

奥の部屋、見上げる


一段あがったところに、祭壇のように天窓から光が注ぐ空間。これはウイグルの家で感じた「天上への指向」を感じずにはおれない。たしかにタジク族もイスラム教徒であるのだ…。装飾も凝っている。

「この部屋が最も大事なんだねえ」なんて伝わらないのに話しながら図面を書いているとダンディは「飯食ったか?」と聞いてくる。
「食ってない」と言うと若い女の人(孫?)を呼び、何やら伝える。
10分くらいして僕の目の前にはちょっと早いディナーがやってきた。ウイグルでもよく食べた「ラグメン」であった。

ふるまわれたラグメン


うどんぐらいの太さの麺にトマト、インゲン、羊肉などが入っているウイグルの定番料理

ありがとうありがとうとラグメンをすぐに平らげ、他の部屋を見せてもらう。



中心の部屋のとなりの部屋。部屋の半分が一段上がったベッドになっており、絨毯が敷かれている。


ダンディの寝室。柱が一本。



壁のでき方。玄関の扉の上。ポプラの上にさらに石が積まれているのがわかる。



□ダンディの家2




ダンディの家を見終わると、次はこっちだついてこいとダンディは菜の花畑を歩いていく。
この時の情景も映画のワンシーンのようにキマっていた。


菜の花畑を行くダンディ


「ここも俺の家だ」と言って、中から親戚らしき人が出てくる。
こちらは長居はしなかったものの、絨毯で埋め尽くされた装飾過剰な部屋が印象的。



壁にも絨毯をかける文化。冬でも暖かそう。



□ダンディの家3(遊牧民のパオ)




そしてさらにダンディは「車に乗れ」という。どこかに連れて行ってくれるようだ。
後方確認をするダンディもイケている。

タジク族の後方確認


余談だがくわえている煙草は自分で巻くやつで、運転中などの為にあらかじめ巻いておいたものを彼は帽子のツバの中にストックしていた。しびれるぞダンディ。


車で7分ほどで着いた場所は、もう一つの天国。そこは先程とガラリと変わる湿地帯であった。



ここはどうやら一部が景勝地として観光客に開かれ、通路がつくられている。行ったことないけど尾瀬ってこんな感じだったような。



湿地帯をグングンゆく。


奥に、遊牧民のパオ(ゲル)が見えた。ここでは今も遊牧民が暮らす。
そしてなんと第3のダンディの家がこのパオだったのである。

「ダンディの家3(パオ)」
築年数:不明。固定されない遊牧民の家なので新しいはず
規模:平屋
構造:太さ3cmの鉄パイプ
屋根:鉄パイプとテント




話を聞く限りでは、ダンディはこのパオに3年前まで住んでいて、3年前に今の石積みの家に移ったのだそうだ。
あまりに違ったタイプの家。その変化が信じられなかった。

タジクのパオ 平面図


テントの内側は絨毯が張ってあり、住めているのだから死ぬほどは寒くないのだろう。
部屋の半分がベッド、雑多な荷物は間仕切りとして絨毯を用いて隠していた。中心にストーブで暖をとる。




内部。天窓は開閉できる。ダンディの親戚が住んでいて、ミルクティーを淹れてくれた。ストーブの煙突は天窓から突き出る。

この「天窓」は、石積みの家のあの天窓と通ずるのだろうか…。





基礎には石が使われている。この石は石積みに使われるものと同じだろう。屋根のテントはロープで地面とつながっている。




どうして遊牧民のパオから、現在の石積みの家に変わったのか、それだけが大きな疑問となって残っていたが、それは今回の短い訪問だけではついにわからずじまいであった。


こうしてダンディによる3つの家案内が終了した。ほとんど言葉が通じないのに、すごく良くしてもらって感激であった。美しい村には、美しい人間が住むのだろう。


ダンディと僕



宿まで送ってくれた彼はさらに、「明日9時にうちに来い」と言って去っていった。


次回はそれについて。なんとタジク族の結婚式に呼ばれてしまいました。






2015年9月28日月曜日

【トルファン】「くぼんだ地」の生き方(まとめ編)



トルファンの訪問をまとめる。正直わかり易すぎる「土着」というか、環境にもろに影響されていたところだったので、逆にどうまとめていいのやらと言った感じで悩んでいたけど、まあ書いてみようと思う。


まずこの「まとめ編」の目標は、
「トルファンの環境に対するウイグル人の住まい方を評価すること」
とする。そしてそれを

ⅰ 「くぼんだ地」のどこに住むか?(集落立地)
ⅱ 「くぼんだ地」でどう住むか?(家)

の二つに分けて書いていこうと思う


トルファンの環境は以下の図(再掲)のようなものだった。

トルファン環境ダイアグラム


そしてこの灼熱の地で住むためには
「水を得ること」「日差しを調整すること」「風を調整すること」が重要であろうと考える。



ⅰ 「くぼんだ地」のどこに住むか?(立地)




実は「交河故城」という前漢代(BC206-8)に存在した「車師国」の町の遺跡が、トルファン中心部から自転車で1時間くらい走ったところに残っている。

カラカラに干し上がった交河故城


交河故城の模型




上の模型のように、交わるふたつの河によって削られ残った孤島のような土地に、町がまるごとつくられていた。
この辺りはシルクロード沿いにあって、様々な民族が散らばっていたから、町を守ることが最優先されたはずである。さらに河はこの乾燥した土地において生きるために必要だったことは言うまでもない。2000年以上前のこの地においては「敵から身を守ること」という条件も必須であったことがわかるが、やはり「水を得ること」が大事であった。


現在のウイグルの家は川沿いではなく、人工の水路「カレーズ」沿いに多く残っている。これもまさに「水を得ること」の実現である。さらにカレーズ沿いにはポプラが植えられ「風を遮ること」も実現している。

カレーズは山から低地へと直線的に進むので、それに沿って直線的な村が構成される。おそらく一大事業であったので、多くが計画的に配置されたのだと考えられる(どのくらい古いのかは調査不足)。

一方現在の町の中心部はグリッド状に、カレーズのないところにつくられた。これは水道の発達によって可能になったもので、広い道路は車の交通に都合が良いのだろう。商業区はほとんどこの中心部にある。
しかし古い集落に比べると、水道に頼り切っていることは否めない。カレーズはきちんと手入れが行われ使い続けられれば、山の水の地下水なので涸れることはないはずである。
また古い集落がそのままの形を保てているのがこのカレーズのおかげ、とも言えるかもしれない。

ちなみに古い集落に住んでいるのはほぼウイグル人で、あとからやってきた漢民族は中心部に住んでいるようだ。
商業区である中心部とウイグル集落は航空写真でわかるように密接しているので、古い集落が孤立して過疎化していることはなかった。

古い集落(赤い点線)とその間には現在の中心部





結論:
・古い集落はカレーズ沿いにある。それは「水」「風」の二点からトルファンの環境条件によく合致している。

・ウイグル集落はカレーズに沿っているので直線的な構成をなす。

・水道の発達によってできた新しいグリッド状の町は、車交通に都合がよくトルファンの経済的な中心を形成している。

・万一インフラがダウンした時のことを考えると、ウイグル集落がカレーズを残して使い続けていることは懸命(お腹の弱い僕にしても飲み水として安全であった)。

・商業区である中心部とウイグル集落は密接しているので集落は過疎化していない。


メモ(いつかのさらなる調査へ向けて):
カレーズが集落立地を規定しているとすれば、この地にカレーズの計画がいつ行われたのか、そしてカレーズがどのような間隔で置かれたのか、計画者は誰か?を検討することによってさらに深く掘り下げられるはず。
さらに現在の中心部が以前どういう土地だったのかは調べる価値がある。




ⅱ 「くぼんだ地」でどう住むか?(家)



□家の特徴


ウイグルの家は季節による内部と外部の使い分けがまず第一の特徴であった。

書くことができた家の平面を、色分けして並べてみる。赤が家屋内部の居住空間、緑が家屋外部の居住空間(屋根やぶどう棚の下の空間)である。※スケールを合わせているわけでないので注意


図面を書いたウイグルの家の屋内・屋外居住空間



これを見ると、なんと外部を多くとっていることか、と改めて驚く。
家屋内部と同じくらいかそれ以上に、外部の居住空間を確保している。

この2つの居住空間(夏・冬)の違いは大きく「風をどうするか」ということであろう。

夏は、屋根で日差しを調整し、風を通し、ベッドを置いて家族皆で眠るのであった。
一方冬は、がっちりとしたレンガの壁によって風を遮った空間で眠る。

ウイグルの家は、夏と冬でまったく違う空間が使われている。ひとつの家に違う空間を併置し、人間が移動することによって住みこなしているのが面白いところであり、砂漠気候ならではの大胆さだがなかなか示唆的だ。我々はなにも一つの空間の中だけですべて考えなくてもいいんじゃないかと思わせてくれる。人間を動かすこともまた家のデザイン。


そして次に注目したのが、「浮いた屋根」。

「浮いた屋根」の部分断面図



この屋根の調整によって影を作りつつ光を取り入れ風も取り入れることができるという、ウイグルの発明であった。


そして最後に何度か登場した「天上への指向」。
これはまだ僕の憶測の域を出ないが、イスラム教徒であるウイグルの家には、どこか僕がモスクで見たものと通ずるところを感じた。この先の旅でムスリムたちの家を見る機会があるはずだから、これは可能性として書いておこう。



□家の材料


材料はほとんどのウイグル民家で共通している。

レンガ(家屋に焼成レンガ、塀や家畜小屋に日干しレンガが多い)…この土地に無尽蔵にある材料(地面と家の色が一緒)で、家屋はほぼレンガのみでつくられる。かつては日干しレンガのみで作られていたに違いない。

ポプラ…建材に使われる木材はほぼ100%ポプラ。屋根には細い枝も使われる。防風林としても植えられる。

鉄骨…ポプラに代わって柱や梁として使われている

筵(むしろ)…屋根材として。正確には何でできているかわからないが、葉っぱを編んだもの。

…レンガにならなかった泥は塗って使われることもある。


鉄骨を除くすべての材料は、この地で入手できるものであった。
また、ぶどう干し小屋、家畜小屋に関してもまったく同じ材料をつかっていた。

作り方については建設中の家は発見できなかったが、木造軸組ではないし、レンガを積んでいく作業であるから大人数や特別な技術は必要なく、プロでなくても建てられる作り方になっている。


日干しレンガから焼成レンガへの変化、そしてポプラから鉄骨への変化は、方法を変えずに可能なところだけ近代的材料へシフトしている点が評価できる。もし家屋がすべてRC造になったとしたら、上記の「浮いた屋根」による環境調整は容易ではないはずである。

ピチャンで見たこの家はこの状況をはっきりと提示してくれている。

屋根と柱を鉄骨にしたウイグル民家


一方中心部にはRC造による高層の建物ももちろん建てられるが、中国の他の都市でもそうであるように、低層の建物は多くレンガ造であった。
以下は僕が散々利用した(ウイグル美人の姉ちゃんが働く)食堂が一階に入っている建物であるが、上にぶどう干し小屋が乗っていた。

ぶどう干し小屋の乗る中心部の食堂



結論:
・ウイグル民家は、夏と冬をそれぞれ過ごすふたつの空間を持つ民家であり、人間が移動することを含めて環境に対しデザインされている。それは今も変わらない。

・光、風の調整のための「浮いた屋根」はこの地の環境に対する特筆すべき装置。
・家屋のつくりはモスクと通ずる「天上への指向」が感じられる。

・材料はほとんどのウイグル民家で同じで、可能な部分は近代的材料にシフトしている。→すべて変えないことで「浮いた屋根」などを失わない点が評価できる。

・中心部はRC造の高層もある中で、低層の建物はレンガ造が多いので基本的な作り方は民家とそう変わらない。ぶどう干し小屋が乗る場合もある。


メモ:
今回、言語上の理由で年代を聞くことができなかったが、レンガの寸法や積み方など細かい観察によって民家の編年的な変化を追える可能性がある。




最後に、以下はぶどう畑の下に潜り込んだ際の写真である。
このぶどうの下の空間に住もうとしたのがここトルファンの人たちではなかったか、と強く感じた。
家もぶどう干し小屋もぶどう畑も、どこか似ている、この「くぼんだ地」が生んだ空間なのであった。


ぶどう畑の下の空間=トルファンの原風景