2015年4月3日金曜日

関西をふらりふらりとしてました

6日間京都・奈良・大阪に行ってきた。

学部の古建築研修旅行にちょいちょい出席しつつ、知り合いと一日車でまわったり、あとは自由に色々歩いてきた感じ。
5泊のうち全て、知り合いの家に転がり込んだので助かった。いろんな人と酒を飲めた。
久々に青春18切符をつかって鈍行で向かった。静岡県が大きいことを忘れていた。


京都には4年連続でこの時期に旅行しているのだが、いまだに見るものが無くならない。
思えば学部2年の終わりにふと一人で京都・奈良に行って、ゲストハウスのお兄さんに春日大社の土地にまつわる神話の事とか、大工・西岡常一の事を教えてもらったときに、現在までやってきた自分の興味の方向性は決まったのだと思う。
そのゲストハウスには今回寄れなかったのだけれど…


今回は特に、正倉院と、廃墟になっている生駒山宇宙科学館が見たかった。


正倉院は本当に素晴らしい。明らかに異質なものが残っている気がする。
シルクロードの終着点とも言われるが、何かのはじまりの感じがしてならない。
ただ大事なものを入れる倉と考えただけでは説明のつかない美しさがある。

写真におさまらなかったし、曲がってしまった


実は、3つに分かれている部分の真ん中と両端では空間の作られ方が違う。両端は校倉造、真ん中はその二つの倉の間に出来る空間で板倉造。
そしてそれを一つの屋根が覆っている。
倉と倉の間にできた空間は元々外部であったとも言える。それが全体の中で等価に屋根の下に包まれると、中央には新しい空間概念が生まれたような気がする。

両端が校倉(ログハウスみたいなの)、真ん中が板倉


そんなことを考えながら眺めたりなんかゴソゴソ書いたりしてたら、後ろからおじさんに
「まだかかりそうですか?」
と言われてしまった。すみません。

「まだかかるわ、ボケ」と言えばよかったかな。

これ、あまり近づけないのが残念。もう少し近くで見るとその巨大さに圧倒されそう。


おまけに南大門。さすがである。





U研究室の設計した生駒山宇宙科学館は奈良の生駒山の山頂で廃墟になって、遊園地の横でいまだ取り壊されずにいる。
生駒山山頂へはこんなにファンシーな猫(ロープウェイ)に乗ってゆらゆら上がっていく。



この廃墟はバリケードで入れないようになっている。



僕が入ったかどうかは書かないでおくが、怖くて仕方ない体験をしたことだけ書いておく。

小さな小さな開口部。圧倒的存在感。



この外観、見ていて気づいたが中国福建省の土楼に似ていないかしら。
吉阪隆正のことだから、ありうると思うんだけど。

参考:福建省の土楼(wiipedia)


遊園地の「ペットふれあいの森」なる場所から有名な巨大雨樋部分が見られそうだったのだが、この「ペットふれあいの森」、なんと入場料が820円もする。

ついでに動物とふれあっておくか…とも思ったけどさすがに高いと感じたので入り口のお姉さんに
「そこの高いところからあの建物が見たいんです。動物とは一切触れ合わないので中に入れてもらえませんかね」
と聞いたのだけど、この女、
「いや無理ですね」
と一蹴りである。

ペットふれあいの森の少し小高いところからは、よく見えそうなのに。


動物と触れ合わないのだからいいじゃないか、いやそもそも犬やモルモットなどの動物と触れ合うために820円も取っていることに疑問を持たないのか…?自らも猿から進化した動物であるということを忘れているのではなかろうか?

などと感じつつお姉さんの即答に負けて、諦めることにした。


遊園地で一日中、空中をクルクル回ったり猛スピードで落ちたりと非日常を楽しんだ子どもらに囲われてファンシーなロープウェイで生駒山を下りていく僕の肩を叩いてくれる者は誰一人といませんでした。


さようなら宇宙科学館




奈良にいる研究者のEさんとその友人Fさん、京都の民俗学者K先生と周った一日奈良ツアーは、盛りだくさんだった。
大和郡山市に残る木造3階建の元遊郭や金魚と共に暮らす人たち、ずっと見たかった箸墓古墳なども見れたが、
特に環濠集落である稗田村、そして天理教本部には驚き、感動した。それはまた別に書こうと思う。

金魚池と共に生きる大和郡山市。コンクリで固めてなければ田んぼへの転用可能性あり。

金魚とそれを狙う鳥に対するピアノ線


憧れの箸墓古墳。卑弥呼の墓かもしれないらしい。とにかく巨大でおさまっていないので、くびれ部を。




最後に、関西の電車は僕がいつも乗っている東京の電車と違うと感じた。
関西では、スマホをいじっている人が少ない気がする。人々は寝ているか、喋っている。特に喋ってる人が東京に比べ多いなと思った。少しうるさいけど、あたたかい。東京はつめたい。
それに関西では人がギュウギュウに座らないことが多い。一人分のスペースという意識が明確じゃない。空いていても立っている人が多い。関東の電車は空きができるとすぐに座る。関東人の方が疲れているのか。
これはまだ真実かどうかわからないんだけど、全く違う印象を受けたし、この差は大きいのではないだろうか。

奈良へ向かう車内。これは結構埋まっているけど


そんなことを、東京に戻ってきた僕は電車の中、スマホに向かって書き綴っているのでありました。

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