2015年4月9日木曜日

犬の糞が破裂していた話

先日、家の近くの道路で犬の糞が破裂していました。
絵で書くと図1のようで(写真は撮らなかった)、結構豪快に破裂していました。

図1:破裂した犬の糞


厳密に言えば犬の糞の入ったビニール袋が破裂していたのだけど、おそらく飼い主が落とした(捨てた?)袋がのちに車に踏まれて一方向へ向かって破裂していたのです。

なかなか汚かったのですが、なんでこんな話をするかというと、それを見た瞬間に

犬が糞をする
→飼い主が拾う
→ビニール袋に入れる
→持って歩く
→落とす
→車通る
→踏む
→破裂する
→時間が経つ
→少し乾燥する

という時間的な幅を持った過去を瞬時にイメージできたことに、なぜだか驚き、少し感動したからであります。

何を言ってるんだこいつは、と思われると思いますが、本当にそんなことを思ったんですね。

当たり前のように一瞬でそれだけの過去を予想することができる人間の能力に、もっと感動していいと思うんです。

このように想像できる為には、例えば、

・道に落ちているアレは大抵犬のものである(人間のだったら怖いですね)
・犬の糞は飼い主が袋に入れるのが常
・落とした袋が方向性を持って豪快に破裂するためには、車もしくはバイクほどの重量の乗り物がある方向へ向かって走っている必要がある

といういくつかの事実を経験から知っている必要があります。

そしてその知識を瞬時に組み合わせて、今、自分の目の前に広がるものが「破裂した犬の糞」であることを僕は判断したのです。1秒もかかっていません。

それがどうしたって思うかもしれませんが、
僕が古い建物を見る時や、集落を見る時も、この犬の糞と同じ見方をしているなぁ、と思ったのです。

・どんな地質の上にあるか
・この装飾はどの時代のものか
・この材料は何か、どこからとってきたものか
・この部屋は誰がどのように使っていたか
・この方向はどんな理由でどこを向いているのか
・この跡は何の跡か

などなど…


今目の前にあるものから、このように過去を想像することができるかどうかで、世界と付き合う楽しみは何倍にも増えると思うのです。
誰もが素通りしてしまう犬の糞だって、それなりの過去を持っているのです。

これ、どこまで想像できるかは、どれだけのものを見たかということが大事なのでしょうが...

すべて今あるものは、過去の何らかの影響を受けている。過去の集積が今です。
(『かぐや姫の物語』の主題歌で二階堂和美さんが「今のすべては過去のすべて」なんて言ってますね。素晴らしい。)

すべては観察からはじまります。

犬の糞も植物も建築も音楽も小説も、人も、同じように世界を見つめ、世界と楽しく付き合おう。
世界ともっと楽しく付き合うために、色んなモノに出会いたいですね。



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