山梨の大菩薩嶺である。
登山が趣味などと言えるほど頻繁にやるわけじゃないんだけど、卒論で神社を調べている時にひとりで熊野の山々へ分け入っていったことにはじまり、時々登ったりする。
我々のする登山は近代登山である。
つまり何らかの必要にかられての登山ではなく、娯楽やスポーツとして。
中世熊野詣りなどの信仰心があるわけでもなく(彼らもほとんどノリだったと思うけど)、ましてや修験者のように修行に行くわけでもない。村から村へ、移動するわけでももちろんない。
いま、登山者は毎日我慢して都会ですり減らした精神を抱え、人間性を回復させに山へと向かうのである。そう考えると、(もちろん自分も含めた)登山者はやっぱり滑稽だなあなんて事を話しながら中央線に揺られた。
朝早くの中央線は、人間性の回復を求める都会人でいっぱいだ。
我々はかつて住んでいた自然の中へ定期的に戻らなくちゃいけないのだ。
近代の目指した自由とは、かつての自然へと一時的に(安全に)帰っていける状態かもしれない。
結構な電車賃をかけて、登りはじめ、そして登頂(いきなり)。
大菩薩峠からの眺め。色々言ってもやっぱり気持ちいい。下界が相対化される。
甲府盆地を見下ろす。奥に南アルプス。これが壁のように聳えているのを発見したのが大きな収穫であった。富士山よりかっこいい。
山頂で飲むコーヒーはやっぱり格別であった。
大菩薩嶺は全然難しいルートじゃない。それでも9時頃登山口を登り始めて下りたのは4時近くだったから7時間くらいは歩いていたのだった。
帰りには大菩薩の湯という温泉にも浸かって、地球と一体化してきた。
かっこいい枝振りに注目したり
なんか膝のクッション的な部分がアレで歩き続けるとアレのやつだ、痛くなるやつだ。登山者にとっては、終わりだ。
昨年秋に丹沢に登った時も下りではかなり痛み、今回も下りは相当痛かった。
この半月板損傷がこれからの旅行でもかなり不安なことの一つでもある。
4月に大学で健康診断をした時に保健おばさんみたいな人に相談したら、
ぼく「半月板が痛くて怖いんですけど」
保健婆「これ中途半端な情報なんだけどね」
ぼく「はい」
保健婆「なんだったかなあ…こないだね、暮らしの…手帖?かなんかでね、書いてあったと思うんだけど…半月板は手術じゃなくて、最近じゃ何か、なんだろう、ヒアルロン酸?か何かを膝に注射で打つと再生する?みたいな記事を見た気がするのよねえ……」
ぼく「(中途半端な情報だ……)」
という感じだった。
でもこないだ日経新聞で同じような記事が載っていて、本当に注射で半月板を再生させるみたいな方法が成功してきているらしい。治験の段階なんだとか。これに期待して今年は我慢することにしよう。
膝が痛み出したのは熊野で山中に分け入っていた時からだった。
そのとき帰りに寄った名古屋の台湾ラーメン屋台にいたおばさんに、
「あんた熊野の神様に嫌われたのよ」
なんて言われたっけ。
神社の本殿裏とかに入ったりしてたから、この言葉半分信じているんだけど。
半月板損傷という登山者の終わりと同時にぼくの登山がはじまったということ。
致命的であるが、運命的である気がしないでもない。
0 件のコメント:
コメントを投稿