2015年4月27日月曜日

宇宙船銀河系号太陽系棟地球室

宇宙間エネルギー輸送は、いずれはじまるのかしら。
輸送コストが、なんやかんやで抑えられれば。宇宙エレベーターもできるようだし。
光に資源を載せることはできないんだろうか。

宇宙船地球号はまず宇宙船太陽系号に拡大し、さらに宇宙船銀河系号に。
宇宙船銀河系号太陽系棟地球室。
他の惑星でも、また領有権の主張ははじまるのだろう。



新宮、和歌山県、日本、アジア、地球、太陽系、銀河系、そのむこうはなんだろうか?谷田先生は銀河系の中にはまだたくさんの太陽があり、それらを中心にした地球がたくさんあると言った。そこに僕とそっくりおなじことを考え、不安がっている男の子がいて、いまこの瞬間に光みたいに速い言葉を僕にむかって送ってよこしたとしても、太陽系地球アジア日本和歌山県新宮のこの場所を歩いている**康二には簡単にとどかない。*康二もその男の子●●も、光が何百万光年もかかってのろのろとやぶれ穴のような空間をとんでいる間に、若い衆になって子供をはらませ、死んでしまい、皮膚や内臓や眼玉を虫どもに喰いちぎられてしまい、骨だけになって、*康二の子供のそのまた子供の、限りなく分裂してゆく一族の末裔に、やっと光の言葉はとどく。(中上健次『十九歳の地図』「一番はじめの出来事」)

オタスケ・マーチ

安部公房の『カンガルー・ノート』を読んだ。
テーマが死ということもあってまだ早かったかな...と思う。
ドナルド・キーンの解説にいろいろ持ってかれてしまった気がしないでもない。

脛から<かいわれ大根>が生えてきた男が医者に行ったらベッドにくくりつけられ、その自走するベッドと共に色々なところを巡る話。
部分的に連続する夢のような景色の連続。特に賽の河原の場面は印象的であった。

オタスケ オタスケ オタスケヨ
オネガイダカラ タスケテヨ

という「お助けクラブ」のオタスケ・マーチが以後鳴り響く。

この小説は安部公房最後の長編と言われているが、『箱男』とか『砂の女』のように、寓話として捉えようという気さえなくなるような夢の連続、といった感じがした。そこが違う気がする。
でも人生って本当はそんなに分かりやすいものでもないのだろう。

その中でもベッドやカンガルー、下がり目の女(A・B・C)、かいわれ大根などの一貫した存在はある。安部公房が病室のベッドでこれを書いていたとしたらやはりこれは夢の話で、夢の中を旅して起きたらベッドにいることの連続だったんじゃないの(小説でも場面と場面をベッドがつなぐ)。病床で書いていたとしたら終わり方がすごい。

<かいわれ大根>は主人公の負い目である。この負い目のために主人公の行動はなかなか制約されてしまう。憧れの下がり目の女に積極的なアプローチもできない。そういうものが体にずっと寄生しているという感じはわかるけど、<かいわれ大根>の自生が「カンガルー・ノート」のアイディアを提出してすぐに始まる、というところがわからない。
ドナルド・キーンの推測によれば主人公は安部公房の鏡映し。真獣類に対する有袋類。ネコとフクロネコのような。そこに<かいわれ大根>(=負い目)自生のヒントがありそう。

わからない小説なんてのは、皆どのように自分の中で片付けるんだろう。僕は自分の中にいつまでもゆらゆらしている感じがして、わからなくてもとりあえずノートに色々書いてみる。書いてみると分かるかというとそうでもないのだけれど。

まあわからないから来年あたりまた読もうと思う。

僕はまだ、本当は死を意識したことなんてないんじゃないかと思う。


2015年4月23日木曜日

床下パラレルワールド

実家の床下の、シロアリ予防薬の効果が切れていた。業者が「そろそろやったほうがいいですよ」と言って高額な見積もりを示した紙が、冷蔵庫に貼ってあった。

地元の知り合いの大工に相談したら、自分でやれば1/10の値段でできると言われたので、先日自分で潜ってやってみた。

木部に塗る防虫油性塗料を、噴霧器で撒く。
床下にはじめて入ったが、そこは自分の家であって同時に自分の家じゃあないようなパラレルワールド。まっくろくろすけの世界である。
家族の成長を15年以上見つめてきた床下世界。


作業着にマスク、メガネ、頭にライトを点灯させながらのほふく前進である。
入った途端、少し湿った土の匂いがムッと香る。

日常の下に、こんな世界が広がっていたとは。人が真上を歩くと、床が軋む。
こんな住宅街にも、波打つ土が隠れている(ベタ基礎ではなく布基礎)ことにちょっと感動。

作業自体は、油性塗料ということもあって地獄のようだった。床下は、空気が止まっているのだ。舞うシンナー臭。
だから、湿気の逃げ道もない。

でも、業者が「泥団子が作れるくらい湿気でドロドロですよ」と言っていたが…
土はサラサラだった。
おいおいおい....全くの嘘をつかれていたのでした。

考えてみれば、床下に潜ろうなんて人は数少ない。10人いて1人いるかどうかだろう。だから、業者は好きなだけ嘘をつける。住人をいくらでも脅して、どんどん金を請求できる。住人は、確認できない(したくない)。
わお、業界の闇だなぁ……なんて思いつつも、これは当然だとも思う。

これが「汚いもの」を見なくて済むことの代償じゃないか。
皆が見たくない入りたくない所に入っているのだから、それぐらい嘘つかれて当然なのかもしれないと思う。


僕らの生活からは「汚いもの」がドンドン離れていっている。離れていくけれど、もちろん無くなったわけじゃない。どこかで「汚いもの」を触っている人がいることを覚えておかなくては。


来週はさらに炭を敷く仕事が待っている(これも実は、業者にめちゃくちゃ高いオリジナル防湿シートみたいのを勧められていたのだけど、BBQ用の炭で十分らしい...)

一度はパラレルワールドに足を踏み入れてみることをすすめます。



2015年4月18日土曜日

4/17、メゾンド桜蘭ほか

昨日Sと、文京区駒込にあるアレグザンダー設計の集合住宅「メゾンド桜蘭」を見学に行った。桜蘭とはシルクロードのかつての都市だけれど、関係あるのか知らん。
不動産屋の方に同伴していただき、空き部屋も見る。(Sは住む可能性があるみたいだ)

外観。

角地に立つ。クリーム色の外壁、ワインレッドの屋根。日本の洋館のような雰囲気。高くなるほど狭まる幅。正面は床屋さん。


木製建具がかっこいい。


1階は各戸への道からのアプローチがある。塀とくっつく建物。
立面だけ見ても変わっている。
小さいベランダがついているところ・ついていないところがあったり、各階で開口部がそれぞれ違ったり、「よく考えられてそうな雰囲気」がある。

中に入ってみると想像以上であった。

見下ろすのは共用のパティオ。この外部空間に面した3階廊下から。

あら、この建物、大きな固まりかと思っていたら、中にドーンとパティオ(中庭)が設けられていた。

航空写真で確認。
南向きのパティオに向かって、段々と廊下(テラス)が面している。

大きなV字型をしていた。
とても気持ちがよい。

見学した部屋のテラスから。

廊下は部屋の前で大きめのテラスになっている。ここで休日に本を読みたい。酒を飲むのもありだろう。
見学した一人暮らし用の部屋の中は、入ってすぐにわりと広めの空間にキッチンがあり、横に広いテラス(図ではバルコニーって書いてある)がある。テラスの床の高さが部屋より低くなっていたので、DIYで高さをそろえればダイニングが実質2倍になって、暖かい晴れの日は外でモーニングをたしなみ、コーヒーを飲みながら村上春樹を読む耽ることも可能だろう。

思い出して書いた雑なプラン。

ダイニングの先に風呂、トイレを抜けて変形6畳間。
写真とってないけど窓がちょうどちゃぶ台ぐらいの高さまであって、明るい。
床に座ってみたら窓枠がちょうどよい高さ。この部屋には高いものは置くべきでない。
パタンランゲージ的。名付けたくなる部分に溢れている。
ただ、収納がないのが残念。アレグザンダーも収納を妥協した。「妥協された収納」というパタンランゲージか。

バルコニーから部屋側の窓まで妨げるものがないので、風が通り抜ける。つまりパティオと道路を風が通り抜けられる。超気持ち良さそう。

パティオに降りて見上げると...

パティオから見上げる。ベランダの位置、開口部の大きさ、窓の割り方、すべてそれぞれ違う。

パティオ。共用の物干し場。1階の住民はこれに面している。BBQもできそう。中央3階廊下の天井が市松模様になっているのも素敵。

うーん、すごく気持ちいい。住民がみんなテラスから顔を出したら、ちょっとした舞台装置になると思う。簡単に断面書くとこんな感じ↓

パタンランゲージ「だんだんせり出すテラス」か。

アレグザンダーは理論家としての方が有名で実作はそこまで評価されていないけど、実際行ってみるとすごく気を配っていて、気持ちよかった。優しい人だったと思う。老夫婦が住んでいたし、猫もたくさんいた。

現在の多くの集合住宅(アパート、マンションも)は、ただ同じ建物に住むという意味しかないのが現状だ。集合する意義がまったくない。同じ土地を積層させた経済性の良さだけ。集合住宅は「みなで何かを共有する」チャンスなのに。ここではだんだんバルコニーやパティオなどのからくりで空間を共有している。老夫婦が住み、窓際から猫が挨拶してくる。猫パティオという舞台をながめていた。
またアレグザンダーの実作見に行こう。

ゆるい坂道。ちょうど地質のキワであった。下りてきた舟の感あり。



その後Sと喫茶店で話す。現実の話、妄想の話。
彼の波動論と僕の砂の話の接続、黒潮への拡張。流体による移動という面で砂漠と黒潮をつなげる試み。
「点より線、線より面」というのは最近考えていた何かのキーワード。

あとパタンランゲージ。
言語のもつ二つの側面。文法などの「構造」(ランゲージで建築つくるという構築)的な面と、言語の持つ「幅」の面。後者はランゲージからの連想ゲーム。木曜日カンブリア宮殿でみた東京R不動産のやっていることは、パタンランゲージの後者の力を使う。
千年村パタンランゲージはスケールの違いでレイヤー化するべし。

あと見えないヒエラルキーの話。
最近考えるホテル清掃員=東南アジア系労働者の相対的な位置付け。ねじれた立場の解消の難しさ。フランスでメシを提供する白人、それを下げる黒人の話。極端な話、奴隷制が目に見えないだけで続いている、見て見ぬ振りの現実の話。

あと換気とゴミの話。
換気こそが住空間の快適さの非常に大きなパラメータであると最近意識する。高層で大きく破綻する。吉阪卒論、中国における日本人の我慢のならなさ。アジアモンスーン。

ゴミがゴミとなった瞬間にゴミとなること。
鈴木了二の震災ガレキへの気配り。
など。


今日は自宅のシロアリ予防薬のことばかり考えていた。
明日はついに床下にもぐってシロアリ対策をする。勉強もしなきゃ。

これから夜中2時までファミレスで勉強してきます。


2015年4月16日木曜日

火山の隙間に住む

「日本を動かしているのは火山じゃないかしら」と思っている。

去年一年間群馬県の調査をしていて、浅間山とかの火山の話がでてきて、地震や洪水などの災害が全然ない場所でも、火山が爆発して集落が消える...なんてのが文献にいくつか載っていた。
それらの話と、卒業設計でやった伊豆大島を調べているときに学んだ火山の話とか、そういうものが色々つながって。

上代に集落が消えるとか、集落移動とかはもちろんそうだけど、まずそれ以前に山が人の住む場所を規定している。上下方向の差異が豊かさ、作物の差異を生む。水の流れを生む。
日本列島には7つの火山帯が絡み付いていて(環太平洋造山帯に属する)、それらは地質が共通したりしていて、同じ石を生んだりする。例えば伊豆大島と富士山は富士火山帯でつながっている。

http://contest.japias.jp/tqj2010/120298/volcaniczone.htmlより

そんな火山がつくった地形の中で、巨大な岩とか、変な形の岩とかを僕らの先祖たちは、
「ここすごい!!すごいよ!」ってな感じで崇めて、そこが聖地になったり、後代に神社とか寺に変身したりしている。
そして高いところに人は何故だか登りたくなる。登山家たちや、修験者たち。
修験者は文化を運ぶ。例えば吉野の修験者が、都の文化を熊野に運んだりするように。
修験者が日本国内でのグローバリゼーションの担い手だったのかもしれない。


観光地が増えまくって経済活動が全国にしみ渡っている現代においても、火山の影響はある。
どういうところが観光地になるかといえば、「普通じゃない」ところだろう。壮大な風景、奇妙な風景など。火山が生み出したその数は計り知れない。
そして日本の観光地の多くは温泉を持っている。火山と直接交わる事のできる施設。
火山が日本の経済まで動かしていると言っても過言ではあるまい。

地図見ると四国だけ火山帯がない。
実は四国には行ったことがないんだけど、何か違う感じがするんだろうか?
調べてみたら四国にも温泉があった。古い火山の名残なんだそうな。そういえば熊野の温泉もかつての火山がどうのこうのって書いてあったなあ。

群馬県は二つの火山帯の出会う場所だったのか。もしかしてその間に利根川がある?那須火山帯文化圏+富士火山帯文化圏の子どもとしての利根川文化圏、などなど、夢は何処までもふくらみます。

火山が噴火するってこと、去年の御嶽山の噴火とか、噴火なんか知らない僕らにとっては非常に理不尽なものだと感じてしまうけれど(ビックリ仰天の被害、みたいな)、
我々は元々、理不尽なところに住んでいることを認めないといけない。

そういえば研究室の棚の扉裏側に、火山帯のトレースした地図を一年くらい前に勝手に貼ったっけ。


イラン日

今日はプレートテクトニクス際の旅・イラン編をずっと読んでいた。

livelihood 生存の条件(環境)→生きていける環境パタン
buildinghood 建設,構築の条件(形式)→生きるための構築パタン

建築の意志とは、移動と構築。
石を山からはがしてこっちに持ってきて積むと、人の生きていける場所ができる、という根源的なところに立ち返る。

歴史的都市は
・水源
・交易のための河
・耕作に適した堆積土
がすべて揃っているという。
堆積土は耕作に適し、日干し煉瓦が生まれ、モスクが立つ。が、地震には弱い。

一方、この旅の多くの集落、ザグロス山脈(アラビアンプレートとユーラシアプレートのきわ)沿いは堆積土との関連が浅い。耕作メインでなく牧畜や果樹を植える。
ただ、日本と同じで田舎からは若者が離れていく、その存続はあやしいのだけれど(廃墟もおおい)。
ただ、生存-構築の関係がわかりやすいところが多かったかな。Palanganの「うちの屋根=上の家のテラス」関係すごく面白い。
このサイトに綺麗な写真あった。山と家がまったく同じ色です。

通訳がいるとやはり情報量が違うんだろうな。
あと地質図などの情報。これは努力次第で手に入れられる。

今日で大体イランの行きたいところはイメージできた。

イランを形づくるザグロス山脈と、エルブールズ(アルボルズ)山脈。
その間にはイラン高原やカヴィール砂漠などの乾燥地帯。

南北の断面をとると、
ペルシャ湾〜ザグロス山脈〜イラン高原〜カヴィール砂漠〜エルブールズ山脈〜カスピ海

千年村的視点を投入すべきは、図の断面図に赤マルをつけた4カ所のキワでしょう。
カスピ海南端は日本に似ているらしく、プレート旅でも行っていないところなので見てみたい。結構開発されてるっぽいかもしれないけど。


イランに行くのは10,11月あたりを予定しているので、先に中国やインドを考えないといけないんだけど、テヘラン大学で修士をとった方に相談したりしていたので今日はイラン日だった。原広司の調査した場所もおすすめされた。人工オアシスの集落とか、風の塔(バードギル)のある集落とか。
ただ、向こうに日本人研究者はいないらしく落胆。途方にくれそう。

まあー、人が優しく飯もおいしそうなので楽しくやっていける気もした。






2015年4月14日火曜日

4/14

最近は毎日労働ばかり繰り返している。
東京の大きめなホテルで夜8時から朝4時半まで働いている。体内時計はぶっ壊れている。
加えてずっと続けている飲食の労働も時々入っている。

そんなこんなですがなかなか旅行の計画が進まない。非常にまずい。
まとまった勉強時間がなかなかとれないでいる。本末転倒おじさんが来てしまうかもしれない。
でも、色々な人を紹介していただいたりしている。


吉阪隆正の卒業論文「北支蒙疆に於ける住居の地理学的考察」をひさしぶりに読んだ。
1940年の段階で、卒論生が、よくこんな論文をかけたものだ。
中国北部、内モンゴル、中国東北部の住居を地理学的な視点で見るというもので、佐藤武夫、十代田三郎両先生の調査についていった一ヶ月ほどの調査をふまえたもの。

論文構成は、

序論 建築の地理学的考察の意義と目的
本論 北支蒙疆の住居について
 第1章 概説
 第2章 気象的条件による変化
 第3章 主要材料による変化
 第4章 民族別による住居
結論

であり、大東亜共栄圏などの当時の世相のもと、現地の伝統的住居の特徴や分布を述べ、その図面を作成し、さらにここに入ってきた日本人たちの住居はどうなっているかなど。
日本人は開放性と畳を捨てきれない。

序論で
「人間は世界から作られ、作られたものであり乍ら独立なものとして逆に世界を作ってゆく」という事がいわれ、更に自分の作った世界に再び作られてゆくという事もいわれるのではあるまいか。

なんて文章があり、のちの有形学がここにすでにあることがわかる。


僕が研究室でやっている千年村研究では、環境・共同体・交通とそれの統合としての集落構造という視点を軸に日本の集落を調査しているけど、吉阪は同じようなことを1940年にやっている。さらにその調査のみならず、その分布から歴史的な文化の伝播、そして大東亜による日本人進出に伴うあらたな住環境の創造(伝統的住居と日本人の住居の折り合い)みたいなことまで考えていた。
まあ、千年村はそれを運動としてやっていこうとしているので若干の違いはあるが、
改めて吉阪の巨大さを知る。



乾燥地帯に憧れはある。住みたくはないが。
昨年末に小岩先生に旅行計画を見せたら、「砂漠ばっかりだね」と言われた。たしかに砂漠ばっかりだった。けど見たいものはしょうがない。
最初タクラマカン砂漠を目指すのはいまのところ変わっていない。シルクロード沿いのオアシス都市。パキスタンのフンザには行けるのか、行けないのか...。
そういえばタクラマカン砂漠を調べていたら、かつて氷河期のころ、そこは海(湖)であったという説もあるようで、夢のようだなと思う。
砂への興味はもちろん安部公房の砂の考察にも依っている。

吉阪も最初乾燥地帯を見聞している。ウオーと走り出したのはこの旅行でかどうかしらないけれど。僕は2013年に伊豆大島の三原山でウオーと走り出したことがある。
北支蒙疆の日干し煉瓦の家の構造はだいたい、木骨らしい。意外。かつて豊かな森があったか。


あと台湾にもやっぱり行きたいなと思ったり。
黒潮はいつまでも頭の中を流れている。

2015年4月9日木曜日

犬の糞が破裂していた話

先日、家の近くの道路で犬の糞が破裂していました。
絵で書くと図1のようで(写真は撮らなかった)、結構豪快に破裂していました。

図1:破裂した犬の糞


厳密に言えば犬の糞の入ったビニール袋が破裂していたのだけど、おそらく飼い主が落とした(捨てた?)袋がのちに車に踏まれて一方向へ向かって破裂していたのです。

なかなか汚かったのですが、なんでこんな話をするかというと、それを見た瞬間に

犬が糞をする
→飼い主が拾う
→ビニール袋に入れる
→持って歩く
→落とす
→車通る
→踏む
→破裂する
→時間が経つ
→少し乾燥する

という時間的な幅を持った過去を瞬時にイメージできたことに、なぜだか驚き、少し感動したからであります。

何を言ってるんだこいつは、と思われると思いますが、本当にそんなことを思ったんですね。

当たり前のように一瞬でそれだけの過去を予想することができる人間の能力に、もっと感動していいと思うんです。

このように想像できる為には、例えば、

・道に落ちているアレは大抵犬のものである(人間のだったら怖いですね)
・犬の糞は飼い主が袋に入れるのが常
・落とした袋が方向性を持って豪快に破裂するためには、車もしくはバイクほどの重量の乗り物がある方向へ向かって走っている必要がある

といういくつかの事実を経験から知っている必要があります。

そしてその知識を瞬時に組み合わせて、今、自分の目の前に広がるものが「破裂した犬の糞」であることを僕は判断したのです。1秒もかかっていません。

それがどうしたって思うかもしれませんが、
僕が古い建物を見る時や、集落を見る時も、この犬の糞と同じ見方をしているなぁ、と思ったのです。

・どんな地質の上にあるか
・この装飾はどの時代のものか
・この材料は何か、どこからとってきたものか
・この部屋は誰がどのように使っていたか
・この方向はどんな理由でどこを向いているのか
・この跡は何の跡か

などなど…


今目の前にあるものから、このように過去を想像することができるかどうかで、世界と付き合う楽しみは何倍にも増えると思うのです。
誰もが素通りしてしまう犬の糞だって、それなりの過去を持っているのです。

これ、どこまで想像できるかは、どれだけのものを見たかということが大事なのでしょうが...

すべて今あるものは、過去の何らかの影響を受けている。過去の集積が今です。
(『かぐや姫の物語』の主題歌で二階堂和美さんが「今のすべては過去のすべて」なんて言ってますね。素晴らしい。)

すべては観察からはじまります。

犬の糞も植物も建築も音楽も小説も、人も、同じように世界を見つめ、世界と楽しく付き合おう。
世界ともっと楽しく付き合うために、色んなモノに出会いたいですね。



2015年4月3日金曜日

関西をふらりふらりとしてました

6日間京都・奈良・大阪に行ってきた。

学部の古建築研修旅行にちょいちょい出席しつつ、知り合いと一日車でまわったり、あとは自由に色々歩いてきた感じ。
5泊のうち全て、知り合いの家に転がり込んだので助かった。いろんな人と酒を飲めた。
久々に青春18切符をつかって鈍行で向かった。静岡県が大きいことを忘れていた。


京都には4年連続でこの時期に旅行しているのだが、いまだに見るものが無くならない。
思えば学部2年の終わりにふと一人で京都・奈良に行って、ゲストハウスのお兄さんに春日大社の土地にまつわる神話の事とか、大工・西岡常一の事を教えてもらったときに、現在までやってきた自分の興味の方向性は決まったのだと思う。
そのゲストハウスには今回寄れなかったのだけれど…


今回は特に、正倉院と、廃墟になっている生駒山宇宙科学館が見たかった。


正倉院は本当に素晴らしい。明らかに異質なものが残っている気がする。
シルクロードの終着点とも言われるが、何かのはじまりの感じがしてならない。
ただ大事なものを入れる倉と考えただけでは説明のつかない美しさがある。

写真におさまらなかったし、曲がってしまった


実は、3つに分かれている部分の真ん中と両端では空間の作られ方が違う。両端は校倉造、真ん中はその二つの倉の間に出来る空間で板倉造。
そしてそれを一つの屋根が覆っている。
倉と倉の間にできた空間は元々外部であったとも言える。それが全体の中で等価に屋根の下に包まれると、中央には新しい空間概念が生まれたような気がする。

両端が校倉(ログハウスみたいなの)、真ん中が板倉


そんなことを考えながら眺めたりなんかゴソゴソ書いたりしてたら、後ろからおじさんに
「まだかかりそうですか?」
と言われてしまった。すみません。

「まだかかるわ、ボケ」と言えばよかったかな。

これ、あまり近づけないのが残念。もう少し近くで見るとその巨大さに圧倒されそう。


おまけに南大門。さすがである。





U研究室の設計した生駒山宇宙科学館は奈良の生駒山の山頂で廃墟になって、遊園地の横でいまだ取り壊されずにいる。
生駒山山頂へはこんなにファンシーな猫(ロープウェイ)に乗ってゆらゆら上がっていく。



この廃墟はバリケードで入れないようになっている。



僕が入ったかどうかは書かないでおくが、怖くて仕方ない体験をしたことだけ書いておく。

小さな小さな開口部。圧倒的存在感。



この外観、見ていて気づいたが中国福建省の土楼に似ていないかしら。
吉阪隆正のことだから、ありうると思うんだけど。

参考:福建省の土楼(wiipedia)


遊園地の「ペットふれあいの森」なる場所から有名な巨大雨樋部分が見られそうだったのだが、この「ペットふれあいの森」、なんと入場料が820円もする。

ついでに動物とふれあっておくか…とも思ったけどさすがに高いと感じたので入り口のお姉さんに
「そこの高いところからあの建物が見たいんです。動物とは一切触れ合わないので中に入れてもらえませんかね」
と聞いたのだけど、この女、
「いや無理ですね」
と一蹴りである。

ペットふれあいの森の少し小高いところからは、よく見えそうなのに。


動物と触れ合わないのだからいいじゃないか、いやそもそも犬やモルモットなどの動物と触れ合うために820円も取っていることに疑問を持たないのか…?自らも猿から進化した動物であるということを忘れているのではなかろうか?

などと感じつつお姉さんの即答に負けて、諦めることにした。


遊園地で一日中、空中をクルクル回ったり猛スピードで落ちたりと非日常を楽しんだ子どもらに囲われてファンシーなロープウェイで生駒山を下りていく僕の肩を叩いてくれる者は誰一人といませんでした。


さようなら宇宙科学館




奈良にいる研究者のEさんとその友人Fさん、京都の民俗学者K先生と周った一日奈良ツアーは、盛りだくさんだった。
大和郡山市に残る木造3階建の元遊郭や金魚と共に暮らす人たち、ずっと見たかった箸墓古墳なども見れたが、
特に環濠集落である稗田村、そして天理教本部には驚き、感動した。それはまた別に書こうと思う。

金魚池と共に生きる大和郡山市。コンクリで固めてなければ田んぼへの転用可能性あり。

金魚とそれを狙う鳥に対するピアノ線


憧れの箸墓古墳。卑弥呼の墓かもしれないらしい。とにかく巨大でおさまっていないので、くびれ部を。




最後に、関西の電車は僕がいつも乗っている東京の電車と違うと感じた。
関西では、スマホをいじっている人が少ない気がする。人々は寝ているか、喋っている。特に喋ってる人が東京に比べ多いなと思った。少しうるさいけど、あたたかい。東京はつめたい。
それに関西では人がギュウギュウに座らないことが多い。一人分のスペースという意識が明確じゃない。空いていても立っている人が多い。関東の電車は空きができるとすぐに座る。関東人の方が疲れているのか。
これはまだ真実かどうかわからないんだけど、全く違う印象を受けたし、この差は大きいのではないだろうか。

奈良へ向かう車内。これは結構埋まっているけど


そんなことを、東京に戻ってきた僕は電車の中、スマホに向かって書き綴っているのでありました。