2015年6月28日日曜日

【三門峡市 張村】地上に上がった人々の家(訪問編)

さておなじみヤオトン集落・張村の新房子訪問編である。

僕が期待したのは、地上に上がった人々の家がそのつくりにおいてヤオトンとなんらかの連続性を持っていることだった。


前回のブログで、下沈式ヤオトン集落がヤオトンを捨てると外に新たな住居群が広がっていくことを発見した。
まず外側に広がって建てられたこの住居であるが、これはほとんどがRC造の集合住宅(5,6軒がひとつになっている)となっていた。

緑色のここで...

こういう感じで暮らしているのである

人の3倍声の大きいこのばあさんは僕にアンズを差し出し、食わせた。その後延々とくるみを割っては僕に食わせ、割っては食わせ、自分も食い、もういらないと言っても割り続けたのであった。

正直、このRC造の新房子はあまり面白いものではなかったなあ。
あと、ここに住んでいた35歳くらいの女の人が僕をみて不気味にずっと笑い続けたのが結構本格的に怖かったので早めに退散してしまったのであった...。



そんで、集落外に広がったこれら住宅に見切りをつけ、ヤオトンのすき間に建てられた新房子を見に行くことに。

□昼下がりの夫人の家


ヤオトンの目の前に建つ、比較的新しそうな家である。
築年数:不明(10年も経ってないと思われる)
規模:平屋
構造:レンガ積み
屋根:オレンジ瓦
物置小屋が付属。


何ともかわいらしいコンパクトな家。

かつての家(今は使わないらしい)と、新房子。

この家は、いくつか雑な図面も書いた。

配置図

ふたつのヤオトンが家の前にある。

平面図。
一人で測るので結構大変。なのでわりとアバウト。ちなみにこの時はハンカチばあさんのぼろぼろメジャーしか持ってないので足とかで測ったり。「何年前建筑?」とかは筆談。通じなかったのでわからず。


3つの部屋で構成される南向きの住宅である。一つは横にくっつく倉庫で、実質生活は2部屋で行う。非常に小さい。
玄関を入ると昼下がりの夫人がTVを見ているのであった。

入っていきなりベッド2。

壁厚は約380mmと分厚く、部屋の幅は同じで約3200mmであった。
隣の部屋にもベッドがあるが、基本的には調理場になっていた。

バラバラと調理器具がおかれる

かつてカンというベッドを暖めるためにヤオトンではかまどがベッドの横に設置されていたが、現在では木製ベッドなので、排煙は直接外へ。
でもベッドのすぐ近くに調理場がある。この、平気で調理場と寝室が共存できてしまうところにヤオトニズムが残っていたりするのだろうか。

煮炊きの排煙は、カン(ベッド)を暖めることはなくなった。

なのでこうして窓から外に捨てている。この家に煙突はない。


とにかく「寝る」「食べる」でほぼ内容が終わっているシンプルなこの家。

しかしあとから見たどの家も、ベッドと調理場は絶対的に大事にされている感じがした。
ここではその中での昼下がりのTVが、唯一の娯楽として印象的であった。


南側立面図


家に直接くっつく黄土塀。
黄土は粘土質なので、このように容易に塀も作れるが、雨で崩れやすい。


西側立面図

東側立面図

この家で特におっ、と思ったのは、東側立面図。
実は後ろの土地が下がっていて、その分かさ上げされているのだが、むき出しの黄土が現れたのである。

黄土むき出しの部分。中身も全部黄土なのかどうかはわからないがレンガもちょっと見えていたので、レンガのまわりを黄土で固めて土台としているのか。よくわからん。


黄土高原っていうのが死んでないな、と思った。まだまだ黄土は使えるのである。
近代的な生活になっても、土地(ここでは黄土)からは離れられないところが面白い。


□発言力のあるリーダーの家


もう一軒詳しく見せてくれたのが、張村老人会のリーダー的な位置と僕が勝手に思っていた、発言力のありそうなおばさんの家である。

2つの建物を使って一人で住んでいる。

配置図。ワンルームの主室と、横に長い住宅を4スパン分使って住む。家は塀に囲まれている。


●主室
築年数:2年(2013年に息子による自力建設)
規模:平屋
構造:レンガ積み
屋根:木造の屋根組にトタンと思われる


小さい...

主室は2013年に息子が建てたという。レンガ積み、レンガむき出しの小さなワンルームである。ここで主に過ごすという。とても清潔に暮らしている。

正面。ここも煙突が窓から飛び出る。


平面図。名前は劉達玉さんという。20年前までヤオトンにいた。

短手のスパンは外-外で3200mmであった。前の"昼下がりの家"と近い。
しかし壁厚は180mmと薄い。

ここのベッドは、ヤオトンで使っていたものと同じ「カン」であった。冬場は小屋の外から薪をくべて暖かくなるようになっている。ヤオトン時代の知恵が生きている。

ヤオトン時代には得られなかった明るさ

カンの足下。床はきれいにレンガを敷いている。


内部は、新聞紙がたくさん貼ってある。ヤオトンは、湿気が強いから新聞紙を貼っていたのだけれど、この地上の家でもなぜか貼っている。この方が落ち着くのかもしれない。

入り口を見る。新聞紙すごい。まな板兼麺打ち台みたいなの。右手に見える机兼たんすは、ヤオトンで見たのとおなじデザイン。ヤオトンから持ってきたと思われる。

ここでばあさんは、僕にスイカを食えと差し出す。しかしその量が...


直径35cmくらいのスイカを半分なのであった。ちょっと多すぎたがかなりうまかった。



●別棟
もう一つの建物。こちらの方が古いと思われるが、築年数はわからなかった。

築年数:不明。ヤオトンから上がった20年前か?
規模:平屋
構造:レンガ積み
屋根:木造小屋組切妻屋根。
細長い建物の4スパン分をこのばあさんが所有している。他のスパンは隣の人が持っている。たしか全部で6スパン。

正面。これが連続する。結構でかい。外には予備のレンガが積んである。

平面図

4スパンの内訳は倉庫-倉庫-物置&物置-居室であった。元はここだけで暮らしていたのだろう。かなりスペースを持て余している。
こちらもスパンは約3200mm(内のりだけど)、壁厚180mm。

自分の写真

ヤオトンで見た、机に自分の写真を飾る風習が生きていた。新聞紙も、もちろん貼りまくる。

倉庫の中。小屋組が見える。

また、ばあさんには悪いがこの建物と塀の間の奥に位置するトイレを公開しておく。

奥がトイレ。

黄土による塀と、レンガ壁に挟まれた、なんだか激しい空間。

この家は家庭菜園(トウモロコシなど)もやっていて、非常にきれいに生活しているなあと思った。



今回は訪問編ということでこのくらいに。次回でちょっとまとめます。

2015年6月25日木曜日

【三門峡市 張村】地上に上がった人々の家(立地編)

前回も書いた張村というヤオトン集落では、20年ほど前から多くの人がヤオトンから"地上"に建つ新房子(シーファンズー:新しい家)へと住まいを変えたという。おそらく9割かそれ以上が地下での生活から抜け出したのだと思う。

老人定例会で僕が聞いたヤオトンの欠点は、

・膝が悪いので上り下りが大変なこと
・湿気がすごいこと

の2点(は聞き取れた)。
おそらくそれに、明るさの問題とかもあるのだろう。


しかし意外だったのは、僕の「ヤオトンと新房子はどちらが好(ハオ good)ですか?」という質問に対する老人たちの答えが

「どちらも好!」

だったこと。てっきりみんな地上に出てくるのが最上の幸せ、みたいな感じに思ってるのかと考えていたけど、違ったみたい。

今回は新房子の立地について書いてみようと思う。

□新房子の立地 どこに建つの


新房子はどこに建つのか。
それを検討するのはみんな大好きgoogle mapの航空写真で見るのがわかりやすい。

が、その前に確認しておかなければならないのが、実はこの張村のヤオトンはほとんどすべて「下沈式」というヤオトン住居であるということである。

ヤオトンは大きく「横穴式(靠山 カオサン式)」と「下沈式」に分けられる。
以下がその断面模式図。(GL=地面の高さ)

上が「横穴式」、下が「下沈式」。

簡単に言えば、

「横穴式」・・・崖に横穴を掘ってつくった住居。最も原始的なヤオトン。そもそもは黄土高原の冬の厳しい寒さのため。また、木材が乏しいため。ヤオトンは「引き算」でつくるので、ほとんど建材が必要ない。

「下沈式」・・・平坦地に深さ6mほどの穴を掘って中庭をつくり、そこから横穴式と同様掘り進めてつくった住居。崖のないところでも「土の中」に住みたいと願った横穴式ヤオトン集落出身の人々がはじめたのだと思う。ここにヤオトン住居における形態的飛躍が見られる。あまりにも特徴的なのでこっちが有名。


以下は窰洞考察団『生きている地下住居』(彰国社,1988)から引用した、黄土高原の地形とヤオトンの形態の関係図。ちなみに上記2つの他に「地上式」というものもある。土を掘ってではないが地上に建てて土をかぶせてヤオトンのような断熱効果を生む住居である。

わかりやすい!見えますかね。



張村で見られる下沈式ヤオトンは、住居の上部に木が生やせない。そこから土が崩れ、住居の天井が落ちてくるからだ。
ゆえにひとつの下沈式は穴の大きさ以上にかなりの面積を必要とし、地上にはあまり木が生えず、広がる平地に穴がポコポコあいているあの風景が出来上がるというわけだ。


そこで、このヤオトンを捨てたあともこの大きな面積がネックになる。
まず、ヤオトンを埋め戻すのは簡単ではない。その分の土を運んでくる必要があるし、労力は計り知れない。
また、たとえ埋め戻せたとしても、元々ヤオトンのあった場所は地盤が軟弱になっており「新房子」は建てられないという。


そこで前回も登場したgoogle航空写真を再び見てみると

左上と右上に固まる新房子群。


新房子の多くは、もともとの集落の外周に広がるように建っているのである。
集落内は、使われなくなった穴だらけである。ちょくちょく、穴を避けて集落内部に建っているのが見える。
集落外の建物は集合住宅がほとんどで、内部は戸建てが多い。




つまり、下沈式ヤオトン集落は、そのままの場所で建物の更新ができない集落であると言えるのではないか。
以下に周囲の半径5km以内くらいのヤオトン集落の航空写真も収集してみた。


とてもわかりやすい例。

かつては農地だったであろう場所に建つ

大きめの規模の村も、外へ広がったり、隙間を縫ったり。

ここまでバラバラに広がると、かつて近くに住んでた人々の連帯感も薄れそう


やっぱり、推測は正しそうだ。

現在の下沈式ヤオトン集落は、使われなくなったヤオトンをどうすることもできず、それを囲うような形で人々は新たな住居に住んでいる。ヤオトン住居を捨てることは、その土地を捨てることに等しい。
ヤオトンが何千年も(この村では2千年)変わらない住居スタイルであり続けたのは、その変更の困難さによるところも大きいのかもしれない。

「下沈式ヤオトン」の「掘ったが最後」感。


いま我々は現代の要請する住環境に応えられないヤオトンに人々を無理に住まわすのでなく、人々が「ヤオトンの抜け殻」をどのようにうまく利用できるか、そういうことを考えなくてはならないのである。

農地をつぶして遠くに家建てるくらいなら、「抜け殻」の中に高床式の家を入れ子状に建てたりしても面白いと僕は思う(ヤオトン自体は利用できていないので雑な考えですね)。

ヤオトン抜け殻入れ子式高床住宅(仮)


まあでも集落外に新房子が建つことによってかつてのご近所さんがバラバラに暮らしていくことになってしまうってのは問題ではありそうだ。


僕が見た限り張村でも、一部、住んでないけど畑として中庭をつかっているものや家畜を飼っているものもあったけど、放置され、時に崩落しているものが多いのが現状なのでありました。

集中豪雨などで崩壊する

さようならヤオトン


なんだかヤオトンについての記事がだいぶ長くなりそう。それほど面白かったということで...。

リアルタイムでは現在平遥古城という2700年ぐらい前から人が住んでいる、現在世界遺産になっている場所の中に泊まっていて、明日の夜から、敦煌へ向けて30時間1800kmの旅に出ます。

2015年6月22日月曜日

【三門峡市 張村】ヤオトンと出会う

6/17から4日間、ネットから隔絶された生活を送っていた。

この4日間は、ヤオトン三昧であった。三門峡市郊外の2つの村で、ヤオトン住居に宿泊した。
そもそもこの4日間は三門峡に住むwenwen(僕の大学の中国人留学生の高校の友達)という初めて会う女の子にいろいろ手配してもらって実現している。一人では全くこんな郊外にまで来れるはずもなく、宿まで叔父のドライバーと共に送ってくれて色々交渉してくれたのである。感謝感謝である。
中国には「朋友的朋友也是朋友(友人の友人はまた友人)」という言葉があるが、そのままのことを彼女は言っていて、あらためて中国人すてきだなと思った。

今日は、その前半戦、「張村」という村でのヤオトン初体験の話。

まずはこの写真を。

地面?



おや?




地下に




暮らしが!


そう、ヤオトンは中国の黄土高原に分布する極めて特徴的な地下住居として有名である。ちょっと日本では信じられないけど、土を掘ってその中に住むのである。
黄土高原の分布はこんな感じ。

ここの河南省の最北端らへんにいきました。黄土高原の南端あたり。

黄土高原は黄河流域に分布しており、この黄土の有効成分が中国文明発祥の源にもなっているとかいう話である(栄養豊富な黄土が黄河に流されて肥沃な土地で農業が発達したらしい)。


それでこの張村という村はあらためてgoogle mapで見てみるとこんな劇的な感じなのであった。

すげえ。細胞だ。ヤオトン同士をつなぐ道も見える。


泊まった宿は、かつて誰かが住んでいたヤオトンをちょっときれいにし直して宿と文化施設みたいにしたところで、ちらほら見物客が来るような感じのところだった。宿の人たちは誰も英語を話せないので、次第に僕の中国語にも磨きがかかっていくというわけである。


こちらが部屋

僕の他にはだれも泊まっていなかった。

かつて動物のころ洞窟に住んでいた記憶がよみがえりそう


手始めに実測してみました。




この空間、聞いてはいたけど、ものすごく涼しい。外から入ってくると、おそらく5度近く違うんじゃないか。むしろちょっと寒かった。

ただ問題は湿気である。部屋の布団がジトっとしている…。空間の快適さを担保する生理的要素の中でも最も重要なのが「適切な湿度」だと思っている僕の目が光る。なんか、奥に行けば行くほど湿度が上がっていく。
まあ、そりゃあキレイにはなってるけど土の中なんだここは。



wenwenは「もうヤオトンに住んでる人なんていないわよ」と言っていたが、僕の穴に荷物を置いて村を歩き始めると、現役ヤオトニストがちらほら。ヤオトニストのほとんどは独居老人であった(中学生ぐらいの子が住んでるところも一カ所見た)。


僕は老人と仲良くなるのが人の10倍ぐらい得意なので、それを中国の農村でも実践してみたらあっけなく現役ヤオトンに訪問することに成功した。


①ハンカチばあさんのヤオトン

頭にハンカチをのせるばあさんのヤオトンを見た。

写真におさまらない

この家は、長方形の穴の3面に部屋が掘られていて、残りの一面には緑が生えてワイルドになっている。中庭には大きな木が生えている。深さは6mくらいで、大体どのヤオトンもこのくらいの深さが必要みたいだ。ずっと上から覗いていて、地上に出て座っていたハンカチばあさんに話しかけて、30分くらいスケッチを見せたりして「ヤオトン見たい」って言ってたら入れてくれた。

地下6mほどです

むきだしの黄土

わたしの家

なんか、同じ人間とは思えない自分との生活の差だ。本当に穴に住んでいる…。

内部初公開!

壁には新聞紙や紙が貼られていて、どうやら調湿効果があるみたいである。サイズは宿の自分の部屋とそう変わらない。実測しようとしたらここでメジャーが壊れてしまい、ハンカチばあさんはとても古いメジャーを僕にくれた。
毛沢東の写真も貼ってある。そしてなぜか自分の写真が遺影のように飾られている…(後に訪問したどの家でも自分の写真を飾っていた。そういう風習なんだと思う。)

遺影かと思ったらハンカチばあさんなのである。


ヤオトンは穴ごとに機能が違っていて、ベッド(「カン」という伝統的なもの。冬には薪をくべて暖かい床にする)がある部屋がメインに過ごす部屋で、調理のための穴や、物置や、物置や、物置。
そう、独居老人なのでほとんど使っていないのであった。かつては大家族がここで暮らしていたことだろう。

にこやか



たっぷりジロジロ見させてもらって、地上に上がったら老人の数が増えていた。僕が記念にあげた日本の5円玉をみんなでまわしてあーでもないこーでもないと延々大声で話している。95%くらい会話の内容はわからないけど、時々筆談したりして僕もその「ヤオトン集落老人定例会」に参加していた。参加者は僕を含めて10人。

僕「ここのヤオトンはどれくらい古いんですか」
爺「2千年

…今残っているものではなくヤオトン自体の歴史だと思うけど、2千年とは。


9老人のうち、さきのハンカチばあさんを含む2人だけが現役ヤオトニストだという。もう一人は100歳のおじいさん。さっそく「ウォーシャンチーニーダーファンズー(あなたの家に行きたい)」と言って、2穴目の訪問に成功した。(着実に中国語に磨きをかけています)


②100歳爺のヤオトン

こんな顔の100歳のじいさんの自宅を訪問。

これ書いてみんなに見せたら大爆笑


地上から見下げる

100年を生きた老人に案内される。


中庭のことを中国では院子という

中庭では家庭菜園をおこなっており、アンズや桃を食え食えとたくさん持ってこられたので食べた。冷えた揚げパンみたいなのももらって食べた。中庭にパラボラアンテナがあり、主室のテレビにつながっている。

雑にメモした平面図はこんな感じで、10部屋ある立派なヤオトンだった。

実測はしていないのでサイズ感はフィーリングです


部屋の内壁全面に新聞紙が貼ってある。

壁一面の新聞紙

お決まりの自分の写真


帰り際、じいさんにも5円玉をあげた。受け取ろうとしなかった。「記念だから」と言ってなんとか受け取らせた。いつまでも大事に左手に握っていた。



果物と揚げパンでちょっと腹がふくれつつ、100歳爺に礼を言って地上に上がると、まだ老人会の話題は尽きないようだった。とりあえず座れと言うので座る。

この日はもう時間も遅いので家の訪問はやめて、明日はヤオトンから地上に上がった人々の家(新房子(シーファンズー)。20年くらい前からできてほぼ例外なくレンガ造の小屋。)を見たいと言って会をあとにした。


それにしても老人たちは、通りすがっては「おお、元気かー」みたいに大声で会話が始まり、そこから会話が途切れることなくずーっと話している。
時に後ろから「だーれだっ」ていう少年少女みたいな遊び心も持っている。
彼らの毎日はとても幸せなんだと思った。

たぶん明日も明後日も、老人たちの話題は尽きないだろう。


僕も実際見るまでは、もうないんじゃないかと思っていたんだけど、ヤオトンがいまでも現役で使われていることがわかった。それでも、多くは廃墟になっていた。

打ち捨てられたヤオトンと、地上に建った住宅。次回は地上に建った住宅について検討してみます。(ヤオトンブログはもう一つの村を含め3記事ほど書きます)

(なかなか毎日忙しくて更新が滞っています)