中国はあまりにも巨大なので、長距離列車での移動が多くなる。
敦煌からトルファンへ向かう列車では、節約のために一番下の「硬座」というランクの切符を買った。
中国の長距離列車は上から
「軟臥」(向かい合わせの2段ベッドになっているうちの一つ。乗ったことないが、軟らかいんだと思う。)
「硬臥」(何回か利用したやつ。向かい合わせの3段ベッドのうちの一つに寝る。決して硬いことはなく、十分快適な寝台。)
「硬座」(普通の硬い椅子。向かい合わせの6人または4人掛けのうちの椅子一つ。)
と3つのランクがある。
長距離列車と言ってもそんなに速いわけじゃなく、僕の感覚が正しければ中央線快速高尾行きと同じくらいなので、めちゃくちゃ時間がかかる。西安から敦煌なんて、22時間かかった。
敦煌からトルファンへは夜中で、23時ぐらいに乗って6時ぐらいに着くので硬座に乗ってみる気持ちになった。
正確には敦煌から乗り合いバンで2時間いった柳園という駅からトルファン駅まで、硬座で約100元(2000円)くらいだった。
敦煌とトルファンの位置
まず乗り込むと、明らかに乗客が多い。
つまり、席から溢れている。でも、僕の手元には指定席の番号がある。
狭い通路を荷物を抱えて通って行くと、自分の席に到着した。当然のように知らないおっさんが座っている。
おっさんに自分の切符を見せると、意外とすんなりどいてくれた。
そして、荷物の置き場がない。頭上の荷台はスーツケースでいっぱいである。
ここで、足元にわずかに空いていたスペースに自分のでかい荷物を詰め込み、頭上の荷台のスキマに小さい方のバッグを無理やりねじ込み、席に座った。隣の席は太った青年で、僕の席は2割侵略されている。
そして、おそろしくうるさい。
みんな大音量で好き勝手喋っているし、イヤホン無しでドラマを見たり、音楽を聴いたり、酒を飲んだりしている。見たところ喋っている人は最初から知り合いというわけではなさそうで、この列車で出会って仲良くなったのだろう。これが中国か。
斜め前の席のおっさんが、足元に唾を吐いた。僕は自分の荷物を心配したが、考えても無駄だと思った。
うるさい中国人の中を一人、本を読みながら、周りを観察していた。
すると隣の太った青年が、僕が日本人であることに気付いたらしく英語で話しかけてくる。彼は18歳だという。
僕が日本人だと気付いた人から順に、視線をどんどんこちらに向けてくる。中国語で質問が飛び交う。少年が英語で通訳してくれる。
「一人か?」
「学生か?」
「中国をどう思う?」
「家族は心配してないのか?」
気づけば周りはたくさんの見物人で溢れ、立っている人も含め20人ぐらいが僕の周りに集結した。なんだかものすごく楽しくなってきた。
斜め向かいの同い年くらいの青年は土木工学をやっているらしく、教科書を見せてくれた。すげえ難しそう。
向かいの兄ちゃんも少し英語ができるらしく、
「中国人をどう思った?」と聞いてくる。
僕は「優しいです」と言った(本当に優しくされているのである)。
さらに「中国人が日本人と違うところはどこだ?」
僕「細かいことを気にしないところですかね。あと、中国人は普通に喋っていても怒っているように見えます。」
みな笑う。
さらに「日本人から中国人に何かアドバイスをくれ」
僕「唾を吐くのはやめた方がいいと思う。」
兄ちゃん「たしかにそうだ、ありがとう」
先ほど唾を吐いたおっさんもうなずき、笑っていた…
乗車して2時間ぐらい経っても(午前1時)、僕の元に順番に面会人がやってくる。警察官の青年や、ウイグル族の女の子。周りには見守るおっさんたち。
大学生のウイグルの子は、日本人に初めて会ったと言って興味津々である。僕もウイグル族は初めてである。
ウイグル人がいるのは、そろそろ新疆ウイグル自治区に入るからなのであった。
太った青年は高校生で、毎日勉強で忙しく親のプレッシャーがすごいなど愚痴をこぼすが、たしかに話していてよく勉強しているようだった。
若干踏み入った話もはじまる。
太い青年「日本人はみんな安部晋三をサポートしているの?」
僕「サポートしている人もいるが、していない人も多い」
太い青年「まじかよ、僕らは全員習近平をサポートしているよ。彼は僕らのリーダーだ。」
僕「毛沢東はどう?」
太い青年「もっと偉大なリーダーだ。」
…中国のこういう話に全く疎い自分に気付くものの、ほう、と思う。
僕「いろんな民族がいるけど関係はどうなんだ?」
太い青年「みんな仲良くやっている。現に今だってウイグルの子と僕らは仲良く話してるだろ?」
ウイグル娘「そうそう」
たしかにそうだった。日本には目立つ情報、つまり民族対立によって起きた"事件"しか入ってこないので、やっぱ対立があるもんだと思っていたが、一部を除く日常はそんなことないのかもしれない。
そこで向かいの兄ちゃんが「政治的な話はこれくらいにしようぜ」
となってこの話は終わった。中国人は政治的な話をしたがらないらしい。
「ハミ」というかわいい名前の駅に着くと、またたくさん人が乗ってきた。
ウイグル人がどんどん増えてくる。そしてすごく美人である。
そのウイグル美女集団はどうやら僕の向かいの席に座るらしい。
もちろん荷物を載せるのにまた苦労する。でも、みんなで協力してスペースを空けたりと、なんだかすごく平和で楽しい世界だった。
ウイグル集団が座ろうとすると、向かいの兄ちゃんが席をどく。
どうやらさっきまで我が物顔で座っていた席は自分の席ではなかったらしい…
彼は「I am no seat man.」と笑い、折りたたみイスを持って流浪の民となった。
ここでこの列車の混雑の理由がわかった。つまり遅く切符を買った者は指定席以外に、「席なし」の切符が買えるのであった。だから人が降りてその席が一時的に空くとそこに座ることができるが、またそこに人が来るとどかなきゃならない。
こんなことだから、大量の荷物を持ってやってきた指定席を持っている人が座るのに20分ぐらいかかるのであった。席なしの人も荷物は置いているだろうし、もう、明らかに列車を増やすか切符を減らすかするべきなのである。
中国列車の予約サイトに「無座」としてこの写真が掲載されていた。
手前の男は魂が抜けたような顔をしている
(http://www.chinaviki.com/service/china-train/tips/02.html)
ただこの不自由から協調と笑いが生まれていることも、確かなのであった。
ウイグル美女たちは看護学校を卒業したばかりらしく、ホータンという故郷の町に向かうらしい。飛び交うウイグル語は、当然僕には聞き取れるはずもない。
最初はすこし警戒していたウイグル美女たちも、徐々に日本人の僕に話しかけてくれる(要通訳)ようになって、日本の写真を見せたり、色々と交流をした。おいしい桃をくれた。
ウイグル人は、中国語も話せる。顔はトルコ系なのですごく違和感があるが、これが普通なんだろう。
3つの言語(中国語、ウイグル語、英語)が飛び交う中、奥からカザフ族だという青年も現れ、この言葉と民族の多様さに、多民族国家・中国が僕の眼前に一気に現れた。
少なくともこの日の列車内では、僕が聞いていた民族対立は見当たらなかった。
硬座にて、たのしい夜更かし
深夜も4時くらいを回ろうとしていた。おっさんたちの多くは寝たが、若者はなかなか眠らず、まだまだ会話は続いていた。
唾吐きおじさんがタバコを吸うため席を立つと、とっさにウイグル美女が席に座る(彼らは女4人、男1人で三席しか持ってない)。
タバコを吸い終わったおっさんは、怒ることなく、30分ぐらいその席を返して欲しそうに眺めていた。
こういう優しさというか、それが許されているところは日本と全く違って、人間的で良い。
日本だったら、指定席の切符を持っている時点でそこに権利が当然生まれ、席を奪われることはないし、奪おうともしない。
このおっさんは指定席を持っているのに、ウイグル美女を無理やりどかそうとせず、30分も立って待っていたのである。えらいぞおっさん!でも唾は吐かないでくれたまえ。
その後はウトウトしながら時々喋ったり、静かな時間が流れた。
思い思いの体勢でみな眠っている。
最初はゾッとしたけど最高に楽しい硬座の世界。
寝不足の僕は朝6時くらいに、まだ夜が明けない灼熱のオアシス、トルファンに着いた。
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